FC2ブログ

天神様

2019.01.10 17:51|日本のもの・こと
 19日・20日は平成最後のセンター試験。受験シーズン真っ盛りですね。
 天神様にお参りに行かれる方が多いのではないかと思う今日この頃、天神様(菅原道真公)にまつわるお話として

●日本史上 学者でありながら右大臣にまでなったのは吉備真備と菅原道真だけ。
 吉備真備は遣唐使として唐に派遣され、日本に最新の技術や文化をもたらしました(吉備真備は2回、遣唐使として唐に派遣されています)。
 一方、菅原道真の建議により、遣唐使が廃止されることとなりました。894年、白紙(894)に戻そう遣唐使……。

●没後、天変地異が頻発したことから、怨霊となったと考えられた菅原道真。
 清涼殿に落雷が起きたことから菅原道真が雷神と結びついたのですが、雷が鳴っているときに「くわばら、くわばら」と唱えるのは、菅原道真の故郷が京都・桑原(現在の京都府京都市中京区桑原町)であり、その桑原には雷が落ちないということから。

●菅原道真といえば、梅を愛したことで知られ(「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな」『拾遺和歌集』)、天満宮の神紋は梅となっています。
 加賀百万石で知られる前田家の家紋が梅鉢紋なのは、前田家と遠い血縁関係があるといわれる藤原利仁が熱心な天神信仰をおこなっていたためといいます。

●遊女の位である天神職(太夫職に次ぐ位)が「天神」という名前なのは、揚代が25匁で、天神様の縁日(25日)にちなんでいるといいます。

 ……というようなことを思い出したので、忘れないうちに、書き留めておきます。
 出典を忘れてしまったものもあるので、きちんとまとめておかなければ……。

 北野天満宮とともに天満宮の総本社である太宰府天満宮に、以前から参りたいと思っているのですが、まだ行けておりません。
 隣接する九州国立博物館とともに、今年こそは行きたいと思っています。
スポンサーサイト



テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術

中山道

2019.01.09 19:57|日本のもの・こと
 本日の信濃毎日新聞に、木曽郡上松町内でこれまで不明だった旧中山道のルートが特定されたという記事が掲載されていました。→こちら
 バイパス等の道路を整備していった結果、旧中山道が削られてしまったとのことですが……今回見つかったルートは、伊能忠敬の地図ともほぼ合致したとのことです。
 私も中山道近くに住んでいるので、近年、中山道や東海道などを見直す動きがあって嬉しいです。中山道は東海道と違い、七里の渡しや大井川のような難所が少なかったため、東海道より時間はかかりますが、日程に遅れが出にくかったといいます。そのため、幕末、皇女和宮が江戸へ向かうさいには、中山道が用いられました(また、中山道が用いられたのは、日程遅延のほか、過激派による妨害の危険性が少なかったためとされます)。余談ですが、このとき軽井沢にある「追分宿」が、慶事である結婚にあたり相応しくない(追分=分かれる・別れる、から)と、「相生宿」と記されている記録があります。
 中山道は東海道より日程に遅延が出ないとはいえ、東海道よりも距離が長く、全長は約135里(=約540km)で五街道中最長でした。また、東海道五十三次(五十三次とは、宿場が五十三あったという意味)に対し、中山道は六十九次。単純な距離の長さだけでなく、中山道には碓氷(長野県)などの難関、険しい道のりもあり、参勤交代に用いられたのはほとんどが東海道だったようです。
 今回旧中山道のルートが特定されたという上松町は、有名な木曽路十一宿場のひとつ。長野県県歌に歌われる国の名勝・寝覚の床がある町です。
 木曽路といえば、すべて山の中にある……という文句が有名ですが、島崎藤村の出身地として知られる馬籠宿もこの木曽路十一宿場のひとつです。かつては長野県木曽郡山口村に属していましたが、2005年(平成17年)の合併により現在は岐阜県中津川市に属しています。

テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術

江戸の神社

2019.01.07 21:02|日本のもの・こと
 1月7日といえば七草粥の日ですが、七草粥については以前の記事に書いたので……。
 初詣というには遅いですが、私は1月中に東京に出かけると、大体 神田明神と湯島天神を参拝します。一時期この近くに住んでいたからというのが最大の理由ですが、どちらも江戸時代からよく知られている神社です。

 神田明神は大己貴命が主神で、平将門を合祀している神社。武州の総社、城下の総鎮守府とされていました。5月15日(もとは9月15日)の例祭・神田祭は天下祭・御用祭とも呼ばれ、日枝神社の山王祭とともに江戸二大祭とされています。山王祭は山の手の祭で武家が多く参加したのに対し、神田祭は下町の江戸っ子のお祭りでした。
 江戸城の表鬼門に当たり、その鬼門封じとして建てられたのが、この神田明神と湯島聖堂。そして聖堂に設けられた昌平坂学問所が、現在の東京大学の前身です。
 江戸の総鎮守として名高い神田明神と、湯島聖堂の跡にある湯島天神。そのご利益ゆえか、今も受験シーズンには多くの参拝客でにぎわっています。

テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術

日本服飾史

2019.01.03 20:19|日本のもの・こと
 久しぶりに京都の風俗博物館のサイトを拝見したところ、大幅にリニューアルされていて驚きました。
 こちらの博物館には、平安時代の日常の風景を、4分の1の縮尺で再現した展示があります。とくに、『源氏物語』がお好きな方は、一度はご覧になることをおすすめします。平成31年2月3日まで休館中とのことですが……。
 『日本服飾史』という書籍も出されていますが、そこで用いられている服飾は、こちらの博物館のサイトから閲覧できます。→新日本服飾史〈序〉
 この新日本服飾史では、平安時代に限らず、飛鳥時代から、(2019年1月現在では)鎌倉時代までの服飾を閲覧することが可能です。年表や、同時代の世界の情勢なども載せられていて、とてもためになります。

テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術

2018年は明治150年記念の年でした

2019.01.02 14:29|日本のもの・こと
 2019年になってしまってからいうのも何ですが、2018年は明治元年から満150年という記念の年でした。
 博物館や、明治維新の立役者であった偉人たちの出身地などではイベントが開催されていたようですが……あまり大きく取り扱われていなかったような気がします。
 日清・日露戦争に勝利し、アジアの中で、また有色人種の国家の中で唯一 列強の仲間入りを果たした日本。とくに大国ロシアに勝利したことで、それまで欧米の植民地化に苦しんでいたアジアの国々に希望を与えた反面、日本海海戦があまりにも劇的な勝利を収めてしまったことから、第二次世界大戦まで海軍の発言力が強くなってしまったこと、またあまりに性急な統一国家を目指したため、地方の文化や古くからのしきたりが軽視されてしまったという弊害も生み出したのですが……。
 開国して近代国家を目指し始めた明治時代の日本には、若者たちが「自分たちこそが国の未来を担い、変えてゆく」という意識がありました。現代の日本は成熟した国家ではありますが、教育格差やそれに伴う賃金格差など、若者たちが国の、自分自身の未来に希望がもてない時代のような気がします。
 明治時代の日本という、後の世まで残る弊害を伴いながらも未来に希望を持ち、悲壮さを抱えながらも前向きに生きようとしていた私たちの先祖を、その生きた時代を、改めて見つめたいと思います。

 首相官邸のサイトから、明治150年ポータルサイトに行くことができます。
 また、国立科学博物館では、3月3日まで、明治150年にちなんだ「日本を変えた千の技術博」が開催されているようです。

テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術

| 2019.11 |
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新記事

カテゴリ

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR

ページトップへ