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ことのは
06 /11 2020
 藍、茜、紅ときたので次は紫です。
 そういえば、「藍」のみ紫陽花つながりでカテゴリが「四季おりおり」に入っていますが、続きものです。

 染色に手間がかかることから、古来高貴な色とされてきたのが紫。白い花が群れて咲くことから叢咲(ムラサキ)の名がついたとされ、その根で染めたのが紫色。染料となる紫草をとるための栽培地を「紫野」といい、これが有名な額田王の「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」の歌にある紫野です。紫色に染めるための紫草を栽培する紫野は標野、すなわち一般の人びとの立ち入りが禁じられた御料地だったのです。ここからも、紫という色の希少性がうかがえます。紫が高貴な色であることから「紫の」は地名「名高」にかかり、また色から「雲」「藤」に、染めた色の美しさから「にほふ」にかかる枕詞でもあります。
 平安時代には紫は色の代表格となり、たんに「濃き」「うすき」といった場合、それは紫のことを指しました。平安時代を代表する文学作品である『枕草子』は、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。……」と始まります。これは、美しい春の情景を褒め称えると同時に、瑞兆である紫雲が出現する天皇(一条天皇)の御代を褒め称えているともいいます(作者・清少納言が仕えた藤原定子は、一条天皇の皇后)。また、『枕草子』には、「めでたきもの」として「すべてなにもなにもむらさきなるものはめでたくこそあれ。」とあります。清少納言と並び立つ女性作家・紫式部が著した『源氏物語』に登場する理想の女性がすべて紫色に縁がある(桐壺更衣、藤壺、紫の上)のも、紫が高貴な色ととらえられていたためです。
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茜、紅

ことのは
06 /10 2020
 先日 について触れたので、今回は藍と並んで最古の植物染料といわれる茜と、古代の人びとに人気の高かった紅について。

  藍と並んで古くからある植物染料の茜は、根が赤黄色であることがその名前の由来。「茜さす」といえば「日」「昼」「光」「朝日」にかかる枕詞です。古代の人は、茜色に太陽の色を重ねていたのです。
 茜と同じく植物染料の赤系統の色で、紅花によって染める色の「紅」がありますが、その名の由来は呉から渡来した藍(染料)から。「紅の」は「色」にかかる枕詞であり、また紅色が薄いことから「浅」を介して、地名「あさはの野」にかかる枕詞にもなりました。さらに、紅色をふり出して色を染めることから「振り出づ」、何度も染めることを意味する「八入(やしお。「紅の八入」)にかけて地名「やしほの岡」にもかかり、紅花の色をうつす意味の「うつし」にかかり、染料が灰汁(あく)であることから「飽く」にかかるなど、多くのものの枕詞となっていて、古代の人びとがいかにこの色に魅せられていたかが分かります。なおベニバナは、その花の先端を摘み取って染色に用いることから、「末摘花」の別名があります。『源氏物語』にも、鼻が赤い(=花が赤い)ことから、末摘花と呼ばれる女性が登場します。家は没落しており、容色の劣る頑迷な性格の女性として描かれますが、光源氏に忘れられながらも彼を待ち続けたその一途さが光源氏を感動させ、光源氏に引き取られ、平穏な余生を送った女性として描かれています。

方角の話③

ことのは
05 /31 2020
 中国の陰陽五行説が四神相応の地とされ、平安京造営に影響を与えたことはよく知られています。たとえば、東(方位)は色が青、季節が春、地勢は流水、四神は青龍です。ここからいわゆる「青春」ということばが生まれました。そして、対となる西からは「白秋」ということばが生まれています。西は色が白、季節が秋だからです。朱夏、玄冬ということばも同じです。なお、方位ですと東西南北で終わりとなってしまいますが、五行では中央があり、色が黄、季節が土用です。土用は1年に4回あり、それぞれ立春・立夏・立秋・立冬の前の日までの18日間のことをいいます。
 最も有名なのは夏の土用で、土用の最初の日(土用入り)から土用の最終日(土用明け)までを暑中といい、1年で最も暑い時期でもあります。
 土用丑の日にウナギを食べるのは、平賀源内の発案だということはよく知られています。江戸時代にはすでに、土用丑の日は体調を崩しやすいという俗信がありました。陰陽五行説にあてはめると、暑さは「火」で、これに相克するのは「水」。そして水の色は黒とされていました。なので、黒いウナギは、「火」の暑さを消すものとしてちょうどよいと考えられたようです。

方角の話② 北

ことのは
05 /30 2020
 南については、まだです……。

 古代中国では北極星のある北側が天子の坐す方角だったことから、「天子は南面す」ということばが生まれました。「北」という漢字は、左向きの人と右向きの人が背中合わせになった形から生まれたといいます。天子が南面する場合、天子の背中側が「北」になるので、「北」は背中を意味しましたが、のちに方角のみを指すようになり、「北」に月(にくづき)がついて「背」になったといわれます。

方角の話① 東と西

ことのは
05 /29 2020
 方角について調べています。五行説と結びついたり、日本古来の考え方があったりで、面白いのですがなかなか難しい……。
 日本といえば極東といわれる国で、国旗も旭日で、何かと東に縁のある国のような気がします。自国礼賛ですが。

 太陽信仰は世界各地でみられますが、稲作をはじめとした農業が生活の基本の地域では、人びとの太陽への祈りはより切実だったでしょう。時間の経過を表す単位である「日」「月」も、そのことば自体が天体の運行と結びついていることが分かりますが、穀物が1回実る期間が1年に相当することから、五穀、とくに稲のことを「年」とも呼びます。
 太陽が昇るのは東であることから、東は再生や誕生の方角とされてきました。対立する方角である西は、太陽が沈む方向であることから、死の方角ととらえられることがあったようです。厄払いの文句の末尾に「西の海へさらり」ということがあります(「かやうの人は、大虚人也、一儀の事、にしのうみえさらり」吉田半兵衛『好色訓蒙図彙』)が、西方に冥界があり、厄払いの災厄はそこに追い込まれる、という考えがあったようです。そこから、厄払いの異称を「西の海」ともいいます。
 「ヒガシ」「ニシ」とも「シ」がつきますが、「シ」は「風」の古語。嵐(アラシ)・旋風(ツムジ)の「シ」がそうです。このことから、風の向きが方位と結びついていたことが分かりますが、『古事記』『日本書紀』では、方角はむしろ太陽の運行と結びつき、それは太陽神アマテラスの坐す東の伊勢神宮に対し、スサノヲやオホクニヌシといったアマテラスに反抗した神々が活躍する西の出雲が黄泉と結びつけられていることからうかがえます。
 といっても、単純に西=死や冥界の方角、ということもいえません。夜が明ければ朝になり、また一日が始まるように、季節が巡るように、円環の世界観でみれば、死は再生のためのものでもあります。とくに仏教の影響を受けてからは、日本からみて西には天竺──仏教発祥の地であるインドのある方角になりました。
 また、よく「極楽浄土」といいますが、極楽浄土は阿弥陀仏が教主の世界で、西方極楽浄土ともいわれます。日本のお彼岸が春分・秋分であるのは、春分・秋分が、太陽が真東から昇り真西に沈むことから、太陽を礼拝し、西方極楽浄土に思いを馳せる日であるためという説があります。
 阿弥陀如来の極楽浄土が有名ですが、他にも薬師如来が教主である東方浄瑠璃世界などがあります。薬師如来はその字の通り医薬の仏様で、三尊像では左脇侍に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩がいらっしゃいます。そして薬師如来の護法神が十二神将なのですが、これは薬師如来が昼も夜も(日光菩薩・月光菩薩)、24時間(十二神将)、衆生を病苦から救おうとしているためといわれます。
 明治になり、江戸は「東京」という名前に変わりました。古来日本の首都であった京都が西にあることに対する「東京」です。現代でも、関東と関西、すなわち東と西とは、その習俗の違いが何かと対比されます。

へまむしょ