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言霊信仰

2019.04.17 17:43|ことば
 新元号「令和」が『万葉集』由来のものだとされ、『万葉集』研究の第一人者・中西進氏が時の人となりました(令和の考案者であることは否定されていました)。
 私は以前、中西進氏の書かれた『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』(2003年、小学館。新潮文庫より『ひらがなでよめばわかる日本語』と改題されて文庫版でも出版されています)に感銘を受け、何冊か著作を持っています。ブログでご紹介したような気がしますが、もしかしたら載っていないかもしれません……。
 記・紀についてはそれなりに調べたのですが、『万葉集』についてはサイトにはほとんど載せていませんでした。
 山部赤人の有名な「天地の分れし時ゆ神さびて……」の歌や、言霊信仰をよく表した「磯城島の日本(やまと)の国は言霊の幸(さきは)ふ国ぞま幸くありけり」という歌などは『万葉集』に収められています。
 「磯城島」は、崇神・欽明天皇が都を置いた大和の国(現在の奈良県)の磯城郡のことをいい、「日本国」の異称です。この場合は「日本(やまと)」にかかる枕詞。 「幸ふ」は「豊かに栄える」の意。なのでこの歌を現代語訳すると、「日本の国は、言霊(=ことばの霊力)で豊かに栄える国であり、(ことばの力によって)繁栄して欲しい」というような意味になります。
 言霊はことばに宿る霊力のことで、上代の人々は、ことばやその使い方が、人の幸不幸を左右すると信じていました。おめでたいことばによって将来の幸福を祈れば、それが実現できるというふうに、です。それと同様に、呪詛のように「ことばによって人を不幸にする」という考えもありました。
 祝詞(神を祀るときに奏上することば)、寿詞(天皇に奏上する祝福のことば)などもその信仰のあらわれといえます。「祝詞(のりと)」の語義には諸説ありますが、本居宣長の「天子が宣(の)り説くことば」、とするのが広く受け入れられている解釈のようです。祝詞の中によく見られる「称辞竟へまつる」「辞竟へまつる」は、「たたえごと(讃辞)を申し上げる」の意で、祝詞を読み上げることをいいます。祝詞や寿詞は、まさに神々と天皇の御世をことばによって祝福し、国の平安を願うものでした。
 現在も、「言祝ぐ(ことほぐ)」(「寿ぐ」とも)ということばを用います。これは「言葉によって祝福」するという意味です。「寿く」(ことぶく)も、「言祝ぐ」の転といわれています。ちなみに、「祝ぐ(ほぐ)」は、「良い結果となるよう祝いの言葉を述べる」以外に、「悪い結果となるよう呪詞を述べる」の意味もあります(「祝」と「呪」はどちらも「ほく」と読み、この二つは共通点があるとされていました)。「祈る」という語は、「斎(い)告(の)る」から出たことばで、神聖な神仏の名を呼ぶことで、幸福を請い、願うことばです。名前はその人の本質を表すもので、みだりに呼ぶことが避けられていました(忌み名の考えなどがそうです)。これも一つの言霊信仰といえるでしょう。余談ですが、「言(こと)」は「事(こと)」と同源であったと考えられています。これは、「ことばに出されたものが実際の現象となる」という考えの反映であるのかも知れません。

 日本人に古くから根付いている言霊信仰。現存最古の和歌集である『万葉集』にはその考えが如実に表れています。
 その『万葉集』から考案された「令和」という元号。
 名づけた方の想い、これからその時代を迎える私たちの想いが報われるような、よい時代にしていきたいですね。
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テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術

日本国語大辞典

2018.05.05 11:05|ことば
 先日、スマートフォンのアプリ『精選版 日本国語大辞典』をダウンロードしました。
 冊子の日本国語大辞典は、旧版は自宅に(なぜか)あったのですが、重いうえに冊数が多く、使うのがやや不便でしたので……。
 私個人的には、電子書籍より紙の本のほうが好きなのですが、辞書に関しては、検索機能や図録・音声が使えるという点から、電子版のほうが利点は多いと思っています。

 かなり以前に載せた記事でも紹介している、私の座右の書『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮社、2008年)に、「あめ」とそ「そら」に関する項目がありました。
 日本国語大辞典には、「天(あま)」の項に、「『あま・あめ(天)』は天上・天空をさすが、類義語『そら(空)』は空中・虚空をさす」とありました。「雨」には「『あめ(天)』と同源」とあり、「天」には神のいる天上という意味がある、ともあります。
 色々なことばについて、その意味を知ることももちろんですが、 「なぜ昔のひとびとは、そのものに、そういった名づけをしたのか?」を知ってゆくのが面白いです。人の名前も、土地の名前もそうですが、それは「そのものに対して、名付けた人がどういうものとしてとらえていたか」を探すことになるので。

 そういえば、つい最近、日本文化に関する多くの著作で知られる武光誠氏の『やまとことばの美しい語源』(河出書房新社、2018年5月)という本を購入しました。
 こちらも、単に「○○ということばは、△△からきている」という事実の羅列ではなく、ことばからそれを名付けたひとびとのの考えが見える内容となっているようです(まだ少ししか読んでいませんが……)。
 おすすめです。

テーマ:雑記
ジャンル:日記

方言あれこれ①

2016.04.08 19:05|ことば
 最近、「○○って言ったら通じなくて、これって方言みたい」という発言を耳にすることがありました。
 いわゆる「共通語」(「標準語」と呼んだほうが一般的ですが、「標準」という名前は他のものを「標準外」としかねないのでこう呼びます)と同じ形でも、その地域で話されていることばは地域方言ですし、そもそも「共通語」自体が山の手方言から作られたことばなので、「共通語と異なる」イコール方言、さらにいえば「共通語と違うことばは劣っている」という考え方自体が、政府やマスコミの責任だと思います。
 そんなわけで、長い前置きになりましたが、方言についてです。

 「ことのは」の「方言」でも触れていますが、方言には大きく分けて地域方言社会方言があります。 
 一般に「方言」といって想起されるのは「地域方言」でしょうか。ただ、共通語と違うことばであれば地域方言というわけではなく、同じことばであっても地域方言になりえますし、語彙(単語)だけでなく、発音文法の違いも「地域方言」に含まれます。
 「社会方言」は、その人の身分や職業によって異なることばのことです。代表的なものが、江戸時代の「武士語」や、吉原などで有名な「廓言葉」。「武士語」は、武士には参勤交代制度があるため、遠い地域から江戸に出てきた武士と、幕府の武士との意思疎通を簡単にするための方言です。「廓言葉」もほぼ同じで、客が遊女に感情移入することを防ぐため、また、高級遊女の出自を隠すための方言です。
 現在でも、普段の一人称が「俺」でも、公の場では「私」と使いますが、これも社会方言といえます。
 また、幼児が使う「ばっちい(ばばっちい。汚い、の意)」、「おつむ(頭)」、「おんぶ」なども方言ですし、主に女性が用いる「~だわ」なども方言です。

 さて、地域方言についてですが、地域方言は、万葉集の時代から存在していました(「防人歌」などに見られます)。それが研究対象として取りざたされるようになったのは、地方間の往来が活発になった江戸時代です。
 明治時代には、日本を欧米列強に対抗しうる中央集権制国家にする必要が出てきました(日本が中央集権制の国家になることが、明治維新の目的の一つであったともいえます)。江戸時代までは藩が置かれるなど地方分権をとっていましたが、「一つの国家としての日本」のために、ことばも一つにまとめる必要がありました。そこで生まれたのが「共通語」と考えられています。

(続く)

テーマ:ことば
ジャンル:学問・文化・芸術

数にまつわる話①

2016.01.29 20:29|ことば
 以前、別のブログに載せていた記事の再掲です。

●以前、『冥途の旅はなぜ四十九日なのか』(柳谷晃、青春出版社、2009年)という本を読みました。
 織田信長が好んだことで有名な幸若舞「敦盛」の「人間五十年、下天のうちをくらぶれば……」という一節がありますが、この50年というのは、戦国時代の平均寿命のことではなく、「人間界での50年分が下天(天界の最下層)に住む天人にとって1日に当たる」ということからきているとありました。
 戦国時代の平均寿命はおよそ16歳くらいとされていて、日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、第二次世界大戦以降のことだそうです(子どもの死亡率が高かったため。現在でも七五三のお祝いをするのは、童謡「とおりゃんせ」にもみられるように、日本に古くから「七つまでは神のうち」という考えがあったためといわれています)。
 この本には、他にも数にまつわる日本の文化や風習の由来についての紹介が載せられています。
 例えば、除夜の鐘の打たれる回数・108は、人間の煩悩の数とされていますが(十二か月と二十四節気と七十二侯を合わせた数という説もあります)、この内訳についても書かれています。これは「六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)の6つの感覚器官それぞれが「三不同」(好、平、悪)の三つの感じ方をし、その感じ方の程度が「染と浄」の2つに分かれ、これらが「三世」(現在・過去・未来)にわたって人を悩ませるということから、6×3×2×3で108、となるのだそうです。
●サンスクリット語で「揺らぐ」を意味する「ピル(pil)」が変化して、ギリシャ語の「プシュケー」、フランス語の「パピヨン」、英語の「フライ(バタフライ)」になったのだそうです(余談ですが、私たちが使っている「フロッピー」も、この「ピル」からきているそうです)。
 サンスクリット語は梵語と呼ばれ、現在でも主に仏教用語などで用いられていますが(奈落、卒塔婆など。その他、日常的に用いられているものとしては、卒塔婆から変化した「塔」や、「鉢」などがあります)、世界の言語の起源はサンスクリット語にあるのだという説もあるそうです。
 サンスクリット語は仏教用語となっていることからも分かるように、もとはインドの言語。そのインドで生まれたのがゼロの概念ですが、このゼロという言葉ももとはサンスクリット語からきているそうです。
 サンスクリット語で「空(から・くう。色即是空の空でもあります)」を意味する語がスニヤ(sunya)。それがアラビアでシフル(sifr)となり、さらにラテン語でゼフィラム(zephirum)となりました。そして最後にイタリア語でゼフィロ(zerifo)となり、それが短縮されてゼロになったそうです。
 ちなみに、言語の上では英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語などは同じインド・ヨーロッパ語族に属しており、サンスクリット語ともとは源を同じくする言語であったと考えられているようです。
 サンスクリット語は、現在では死語となっていますが、『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』などインドの国民的叙事詩はサンスクリット語で書かれています。『マハーバーラタ』の一詩篇である『バガヴァッド・ギーター』は宗教・哲学的教訓詩で、現在でもヒンドゥー教徒の聖典です。

【参考】
 柳谷晃『冥途の旅はなぜ四十九日なのか』(青春出版社、2009年)
 飯倉晴武『日本人のしきたり』(青春出版社、2003年)
 中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮社、2008年)
 日本雑学研究会『誰かについしゃべりたくなる話のネタ・雑学の本』(幻冬舎、2000年)

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やまとことば①

2016.01.26 19:15|ことば
 かつて、『遠野物語』などで知られる民俗学者・柳田国男が「どんな字病」ほど恐ろしい病気はない、と言っていたそうです。
 漢字は現在の日本語になくてはならないものですが、もともとは中国から輸入されたことばであり、かつ、現在の中国語とはかなり異なっている部分があるということも、忘れてはいけないと思います。

 現在日本で用いられている漢字は、中国からもたらされたものです。日本に輸入されたそのその漢字は、もともと日本にあった固有のことば(やまとことば)と、中国での発音とを持つようになりました。
 「山」を例と、日本固有の読み方は「やま」で、中国での読み方は「サン」でした。ただ、時代の変化とともに中国で用いられていたそのことばの読み方が変わり、漢の時代の読み方である漢音と、呉の時代の読み方である呉音とができました。余談ですが、遣唐使・吉備真備に連れられ日本を訪れた袁晋卿という人物が、呉音を漢音に改め、片仮名を作ったという伝説もあります。
 ともあれ、漢字に与えられた日本古来の読み方が訓読みで、中国での読み方に近い音が音読みだと、おおよそはいうことができるようです。
 漢文は平安時代には「真名」と呼ばれ、主に貴族の男性が公文書などを記すのに用いていました(「真名」と反対に女性が用いていたのが「仮名」で、これが現在の平仮名・片仮名となりました)。漢字が日本に輸入された際、やまとことばは中国語より母音が少ないため、同音語が多くなりました。その結果、漢語は硬質な響きをもち、現在でも重厚な文章を書く場合に多く用いられているようです。
 私たちの祖先は、輸入されたことばである漢字にやまとことばを当てはめ巧みに用いましたが、すべての漢字がやまとことばに対応していたわけではありません(やまとことばと漢字の意味が十分に対応する場合、その訓読みを持つ漢字をとくに「正訓字」といっています)。もともと日本になかったものが中国から輸入された場合には、漢字の読みがそのまま日本語のように定着してしまうこともあったようです。その代表例が「菊」で、これはもともと漢字のククもしくはキクが変化して、現在日本で「キク」と呼ばれるようになりました。ヒグマという語についても、「羆」という漢字が四とクマ(熊)なのでシグマ、シの子音が変化してヒグマになったのだという説があります。そのほか、「銭」はセンが変化して「ゼニ」に、「縁」はエンが変化して「えに」となり、更に強調の「し」がついて「エニシ」になったともいわれています。
 先に、「日本古来の読み方が訓読み」と書きましたが、「むぎ」ということばはもとは中国での読み「バク」が変化したものといい(子音b音とm音とは、同じ両唇音なのでしばし交替することがありました。特に旧い呉音が新しい漢音となる際に、b音がm音に変わるということが多くあったようです)、必ずしも訓読み=やまとことば、とは言い切れない部分もあります。
 また、輸入された中国語がもともとあったやまとことばを駆逐してしまった例もあるようです。例えば「肉」。日本では「しし」(イノシシなどのシシ)であったものが、「ニク」に取って代わられました。「脳」も旧くは「なづ(ず)き」、「地震」は「なゐ」(のちに「なゑ」)といっていましたが、現在ではこれらのことばは、方言や固有名詞に残るだけとなっているようです。

【参考文献】
 笹原宏之『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社、2008年)
 中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮社、2008年)

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