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英単語の語源

2015.02.28 17:24|ことば
 以前、電子辞書についていた『語源でおぼえる英単語』が楽しくて、一時期読んでいました(どこの出版社から出された辞書なのかは、覚えていませんが……)。
 日本といえば有名な「アニメーション」の「anim-」は生命を表す単語につく語。動物(animal)などもそうですね。そもそも「anima」自体が魂、精神という意味です。「bio-」もそうで、こちらは「生」・「生命」・「生物」につきます。日本では生化学関連のものに使われることが多いように思います。
 最近よく聞くウェアラブル端末といえば、「wear」(身につける)に同じく「-able」で、「身につけられる端末」。「ポータブル」は「port」(運ぶ)+「-able」(~できる)。「port」が他と組み合わさると、「import」(輸入。im-は「中に」)、「export」(輸出。ex-は「外に」)になります。exportと同じ「ex-」のつく「exchange(交換する、引き換える、両替する)」は、「外に対して変える」と考えると、何となく意味がつかめてきます。
 単にその語の「解説」だけではなく、その語の成立にかかわる「物語」がある辞書は、面白くて飽きないですね。英語というと、英単語の記憶、SVOC……というイメージがついていますが、授業でも、単語の丸暗記よりこういう解説をしてくれたらもっと良いのになあと思ったものでした。
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テーマ:英語
ジャンル:学問・文化・芸術

写真を水彩画風にするアプリ「Waterlogue」

2015.02.25 19:52|パソコン関連
 最近、旅行先で撮った写真を水彩画風にするアプリ「Waterlogue」がお気に入りです。
 このアプリを使うと、諏訪大社下社秋宮の写真(上)が、下のようになります。

2015022501.jpg

2015022502.jpg

 他にも、旅行記風、イラスト風などのモードがあります。
 これなら絵が描けなくても、自分でイラスト入りの旅行記が作れそうです。
 記・紀神話や昔話のあらすじなどのページで使ってみると、また楽しいかも……と思いました。

テーマ:便利ツール
ジャンル:コンピュータ

妖怪について・7 なまはげ

2015.02.21 19:49|日本の神話・伝説・昔話
 秋田県男鹿半島でいう怪異、とあります。
 小正月の晩に村の青年が鬼に仮装し、「泣く子はいねが」「怠け者の嫁ごはいねが」などと言って家々を回り歩く行事。もともとは怠け者の象徴であるナモミ(火斑。低温火傷によってできるため、「怠け者の証」として認識されていたようです)を剥ぎにくる鬼のことであったようです。
 起源については諸説あるようですが、村上健司『妖怪事典』(毎日新聞社、2000年) によれば、漢の武帝が五匹の鬼とともに男鹿半島の真山、本山に住み着き、その鬼たちが忠実に働くので、1月15日の小正月にだけは里におり好きに振る舞ってよいと許されたのだそうです。
 民俗学者・谷川健一氏の著作『谷川健一著作集 第九巻』には、このなまはげは海の向こうからやって来る「まろうど」と関係があるのかも知れないとあり、海からのまろうどと関係があると考えられるなまはげが「くが」に通じた名を持つ男鹿半島に来るのは、意味深いことがあるのではないかとしています。

 ちなみに、「まろうど(まれびと)」とは、民俗学で異郷から来訪する神をいいます。この「まろうど」については諸説ありますが、海に囲まれた地域には特に、古来 「海上他界観」(海の向こうに別世界があるとする考え。沖縄のニライカナイ、中国の蓬莱山、日本における竜宮など)という考えがありました。例えば一寸法師のモデルとされるスクナビコナ(出雲神話の主神・オホクニヌシと力を合わせ国造りを行った神。一寸法師のモデルと考えられています)も、海の彼方からやって来て、国造りを終えた後、海の彼方にある常世国に行ってしまいました。このことから、よそからやって来た者(客人すなわち「まろうど」)は、手厚くもてなせば一家に幸せをもたらすという考えがあり、海の向こうからやって来るなまはげも、この「まろうど」と繋がりがあるのかもしれません。

 余談ですが、この「くが」の説明や、ゲーム「大神」での出発地点が日本地図でいう男鹿半島に当たることから、私も男鹿半島に行きたいとは思っているのですが、いまだに行ったことはありません。
 東北の地名は、アイヌ語と結びついていたり、古い時代の呼び名が残っていたりと、とても興味深いです。

テーマ:日本文化
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妖怪について・6 『画図百鬼夜行』より(1)

2015.02.18 19:34|日本の神話・伝説・昔話
 鳥山石燕の画図百鬼夜行の絵をまとめた『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫、2005年)をめくっていたら、「妖怪ウォッチ2」に登場している妖怪がいくつか出ていたので、説明文を抜き出してみました(「妖怪ウォッチ」で妖怪に興味を持たれて、このブログを覗いて下さる方もいらっしゃるようなので)。

(さとり)]
 飛騨美濃の深山にあり。山人呼で覚と名づく。色黒く毛長くして、よく人の言(こと)をなし、よく人の意(こゝろ)を察す。あへて人の害をなさず。人これを殺さんとすれば、先その意をさとりてにげ去と云。
泥田坊
 むかし北国に翁あり。子孫のためにいさゝかの田地をかひ置て、寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに、この翁死してよりその子酒にふけりて農業を事とせず。はてにはこの田地を他人にうりあたへければ、夜な夜な目の一つあるくろきものいでゝ、田かへせ田かへせとのゝしりけり。これを泥田坊といふとぞ。
煙々羅(えんえんら)]
 しづが家のいぶせき蚊遣(かやり)の煙むすぼゝれて、あやしきかたちをなせり。まことに羅(うすもの)の風にやぶれやすきがごとくなるすがたなれば、烟々羅とは名づけたらん。
雲外鏡
 照魔鏡と言へるは、もろもろの怪しき物の形をうつすよしなれば、その影のうつれるにやとおもひしに、動出るまゝに、此かヾみの妖怪なりと、夢の中におもひぬ。

 他にも河童、玉藻前(九尾の狐)、天狗など、有名な妖怪の画も載っています。
 ……しかしこれを見ると、確かに「世の不思議はすべて妖怪のせい」というか、世の不思議や不条理が妖怪という存在に仮託されていたのだなとしみじみ感じます。

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鏡について

2015.02.15 20:14|日本の神話・伝説・昔話
 前回 三種の神器について触れたので、その中でも最も重視されたと考えられる、鏡についてもう少し掘り下げました。

 『古事記』においてアマテラス(天照大神)は、葦原中國へと降臨する孫のホノニニギに鏡を与え、その鏡を自分の魂とし、自分を拝むようにこの鏡を拝みなさいと告げています。古代の人は水に映った姿や影を、自分の魂と考えたといいます(幕末にあっても、写真を撮ると魂が抜けると怖れられていましたが、これも自分の霊魂が自分の体の外に抜き取られることを怖れたためと考えられます)。鏡は水よりも鮮明に人の姿を映すため、霊魂を映し出す神聖な道具としてとらえられたのでしょう。邪馬台国の女王・卑弥呼が銅鏡を与えられたことは『魏志』倭人伝に記載されていますが、霊魂を司るシャーマンにとって鏡は重要な呪具であったと考えられます。
 このほか、倭建命(やまとたけるのみこと)が船に鏡を懸けて陸奥国に侵攻したところを、それを見た蝦夷の首長は戦わずして降伏した話などがあり、鏡には呪術的な力があったことが窺えます。
 また、鏡は太陽の光を反射するので、太陽と鏡は深く結びついていました(太陽は円形に輝く天体であり、地上において円形に輝くものの代表が鏡であったこととも由来していると考えられます。太陽の異称に「紅鏡(こうきょう)」ということばもあります)。『古語拾遺』には、天の岩屋戸に用いられた「鏡」が、天照大神の姿を象ったものだと記されています。このとき最初に作られた「日の像(みかた)の鏡」は神々があまり気に入らなかったので、それは日前神社(和歌山県)の御神体とされ(紀伊の日前神)、次に作られた鏡が「伊勢大神」(伊勢神宮の御神体である八咫鏡と考えられます)となったそうです。
 『日本書紀』に記載されている別伝では、アマテラスが「白銅鏡」から生じたという伝もあります。奈良時代には銅と白鑞(錫)の合金を白銅と呼んでいました。
 なお、「鏡」ということばについて、中西進『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』(小学館、2003年)に、「かがやく」などと同源ではないかとする考えが載せられています。「かがやく」とは光が明滅することで、「かがやく」の「かが」は「かげ」や「かぎろひ」などと同じではないかともあります。 完璧な美を備えるかぐや姫の「かぐ」の語源も、「かがやく」などと同じとされています。

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三種の神器

2015.02.13 19:57|日本の神話・伝説・昔話
 ヤマタノヲロチの記事を書いた後、三種の神器についてサイトであまり触れていなかったことに気づいたので、簡単に述べてみます。
 なお、戦後日本において、電化製品の三種の神器は白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機。お弁当の三種の神器は赤ウインナー・卵焼き・鮭だったそうです。
 神武景気や岩戸景気など、記・紀神話に由来する命名がまだまだ多かったのですね。

 三種の神器
 八咫鏡八尺瓊勾玉天叢雲剣のことを指します。『古事記』及び『日本書紀』第九段第一の一書ではその三種の宝が、アマテラスから天孫へと渡されていますが、『日本書紀』第九段第二の一書には「宝鏡」のみしか見られず、『古語拾遺』(※)には鏡と剣の二種の宝しか見られません。また、アマテラスが鏡を自分の魂と思うようにと発言していることから、所謂「三種の神器」の中で鏡は別格の扱いを受けています。
 これらのことから、本来は「鏡」のみが神宝の起源として語られ、そこに別の説話として存在していた剣が宝に加えられ、さらに勾玉が加わったのではないかといわれています。

※……中臣氏と並んで祭政に関わってきた斎部氏が記した歴史書で、記紀に漏れた伝承を含んでいます。

[八咫鏡]
 「八」は実際の数ではなく、数が大きいことを意味するので、「八咫鏡」は単に「巨大な鏡」と解されます(※咫は現在の16センチ弱)。
 アマテラスが天の岩屋戸にこもって世界が暗黒に包まれたとき、アマテラスを天の岩屋戸から呼ぶための神事において用いられた鏡で、イシコリドメが作ったとされています。鏡は太陽の光を反射することから、特に日神との関わりが強いとされ、アマテラスは天孫ホノニニギに八咫鏡を授ける際、「この鏡を私の魂とし、私を拝むようにこの鏡を拝みなさい」と発言しています。
 この鏡は伊勢神宮に祀られていますが、神聖性や霊威性を損なう恐れがあるため、見ることはかないません。ただ、『皇太神宮儀式帳』によれば、鏡の納められている御樋代の直径が1尺6寸3分(約49センチ)で、鏡の直径もおよそそれに近いと考えられています。
 ちなみに八咫鏡と同じつくりの鏡が宮中に置かれているそうで、その鏡は宮中の別殿・賢所(内侍所)に祀られているということです。
[八尺瓊勾玉]
 アマテラスが天の岩屋戸にこもったとき、タマノオヤノミコトが作ったとされるのが、この勾玉とされています。正確には「八尺の勾玉の五百津の御須麻流の珠」(『古事記』)で、ここでは勾玉を中心に色々な管玉・丸玉を連ねた首輪のことを指しています。
 こちらは宮中にあるようですが、神璽と呼ばれる箱に納められ、歴代天皇も見ることがかなわないそうです。
[天叢雲剣]
 名称については、『日本書紀』第七段に「蓋大蛇所居之上常有雲氣故以名歟」とあります(「天叢雲剣」の「天」は尊称)。土着の神であったと考えられるヤマタノヲロチの尾から出た剣はアマテラスに献上され、天孫降臨やヤマトタケルの東征など、土着民を征服するときに用いられました。そこから、この剣は朝廷の武力の象徴であると捉えられています。
 この剣は、江戸時代に熱田神宮の宮司が見たという伝が残されており(『玉籤集』)、それによれば長さ2尺7~8寸(約80センチ)、白銅製の剣であったということです。
 ちなみに別名である「草薙剣」については、沖縄で青大将のことをオーナギ・オーナガ・オーナギリなどということから、ナギは本州においても古くは蛇を意味したのではないかといわれています。クサはクソと同根で、獰猛・勇猛などの意。よってクサナギとは古くは「獰猛な蛇から出た剣」であったと解されます。
 記紀ではヤマトタケルが東征の際に草を薙ぎ払ったことから「草薙剣」の名がついたとされていますが、本来の意味は「獰猛な蛇から出た剣」であり、その名称から草を薙ぎ払って火から身を守るという伝説がついたのではないかという説もあります(佐竹昭広説)。ちなみに、「都牟刈太刀(つむがりのたち)」など多数の別名があります。この剣は、平家滅亡のさいに失われたともいわれています。

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初午と建国記念日

2015.02.11 13:15|四季おりおり
 今年は初午と建国記念日が重なっています。
 なので、初午と建国記念日、両方をこの記事に載せてしまいます。

[初午]
 初午とは、2月最初の午の日をいいます。初午の日には、全国に3万あるとされる稲荷社は初午詣でで賑わいます(現在では、初午の日の金曜日などに、初午のお祭りを行うお稲荷さんも多いようです)。
 初午の日は、和銅4(711)年、京都伏見の伊奈利山に祭神が降臨した日とされ、これが全国の稲荷社の総本山である京都伏見稲荷の縁起とされています。初午の日に行われる祭礼は、この縁起に因んだ行事となっています。
 お稲荷さんといえば狐ですが、平安時代以降、仏教の守護神である荼枳尼天が稲荷と習合し、その荼枳尼天が狐に乗って飛ぶことから、狐が稲荷の使女(つかわしめ)と考えられるようになったのだといいます。上記の他にも、稲荷の主祭神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ。倉稲魂神とも)が食物を主宰する神・御食津神(みけつかみ)であり、その神名が「三狐神(みけつかみ)」と当て字されたことが、お稲荷さんと狐とが深く結びついている所以ともいわれています(※狐とお稲荷さんとの関係については、諸説あります)。
 稲荷の語源が稲成である(「いなり」を「稲成」と書く島根県の太皷谷稲成神社があります)といわれていることからも分かるように、稲荷は五穀豊穣の神、さらに商売繁昌の神ともなりました。
 狐は普段山にいますが、春先になると里に下り、秋になるとまた山に戻ることから、田の神およびその使女として信仰されていたようです。田の神は、春先に山の神が下りてきて田の神になるとされており、この神様を農神、地神、作神、エビス、大黒などと呼ぶ地域があることから、田の神が様々な神様と習合している神様でもあることが分かります。春先に山遊びなどの行事が行われるのも、山にいる神様がまた里へ下りてもらうよう迎える風習があったためだといいます。
 狐が稲荷の使女であり、また田の神およびその使女とされたこと、また稲荷神が稲作の神であることから、これらが結び付き、現在のお稲荷さんになったのでしょう。

[建国記念日]
 戦前は「紀元節」と呼ばれ、1948年に占領軍の意向によって廃止されましたが、1966年に「建国記念の日」として復活しました。「建国記念の日」は、「建国を記念し、国を愛する心を養う目的で制定された国民の祝日」とされています。
 1873年に神武天皇即位の日をもって祝日としたのが「紀元節」です(1872年時点では、1月29日と定められていました※)。1889年2月11日に大日本国憲法、皇室典範が公布されたことから、国家的祝日とされました。現在も紀元節問題などが起きてはいますが……。

 ※……『日本書紀』には、神武天皇の即位の日が「辛酉年春正月、庚辰朔」すなわち1月1日とあり、1873年の旧暦1月1日が新暦の1月29日にあたったことから。

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妖怪について・5 八岐大蛇

2015.02.07 20:39|日本の神話・伝説・昔話
 もとは神であったと考えられますが、主にRPGの中ボス(あくまで中ボス)として名前を知られるようになった気がします。
 なお、大和朝廷に反抗した「まつろわぬ民」は他にも妖怪とされているものがいくつかいます(悪路王、土蜘蛛など)。

ヤマタノヲロチ
 高天原を追放され、出雲の地へ降り立ったスサノヲは、アシナヅチ・テナヅチという夫婦に出会います。その夫婦が嘆いているので理由を尋ねると、毎年1人ずつ娘をヤマタノヲロチに捧げていて、今年末娘(クシナダヒメ)を差し出さなければいけないので泣いているというのです。スサノヲは、ヤマタノヲロチを退治するので、クシナダヒメを娶らせるよう申し出ます。
 ヤマタノヲロチの姿は「彼(その)目ハ赤加賀智(※1)ノ如クシテ、身一ツニ八頭八尾有リ。亦其身ニ蘿(ひかげ)ト檜・椙(すぎ)生ヒ、其長(たけ)ハ谿(たに)八谷・峡(を)八尾ニ度(わた)リテ、其腹ヲ見レバ悉(ことごと)常ニ血爛有リ」(記)、「頭尾各八岐有り。眼は赤酸醤(あかかがち※1)の如し。松柏、背上(そびら)に生ひて、八丘八谷の間に蔓延(はひわた)れり。」とあります。
 ヲロチのヲは峰(ヲ)、ロは助詞、チは霊、霊力を意味しています(ヲを尾と解して、尾が長い大蛇とする説もあります)。蛇にはまたミヅチというものがおり、これは「水つ霊」を表しています。蛇は水の精霊で、水田耕作を主な生業とする日本の人々にとっては、むしろ祭礼の対象であったと考えられます。クシナダヒメももともとは、ヲロチに仕える巫女であり、出雲神話が朝廷神話となるに際して、土地の神ヲロチが悪神となり、巫女クシナダヒメはそのヲロチにさらわれる存在へと変化していったという説もあります(ヤマタノヲロチは水害の象徴であり、スサノヲがそれを平らげた英雄神とする説もあります)。
 また、三種の神器として知られる天叢雲剣(草薙剣)がこのヤマタノヲロチの尾から出てきたことから、ヤマタノヲロチは肥の河(※2)の象徴であり、製鉄神話と関連があるという説もあります。
 古代日本において、蛇は神聖な生き物と考えられていました。それは、蛇が脱皮することから、蛇が再生、不老不死の象徴とされていたことに由来しているようです。
 日本において蛇が邪悪なものと見なされている例は意外と少ないようで(外国では蛇は善悪両方の面を持ち合わせていることが多いようです)、蝮の古名であるハミは、カミ(神)に由来するという考えもあります(この説では、古代ではK音とH音が交替することがあったため、kamiがhamiに由来しているのではないかとしています。参考:角林文雄『アマテラスの原風景 原始日本の呪術と信仰』塙書房、2003年)。

 余談ですが、ヤマタノヲロチというと頭の八つある大蛇として描かれます。しかし、ヤマタノヲロチの説明については、『古事記』に「身一有八頭八尾亦其身生蘿檜榲其長度谿八谷峡八尾……」とある一方で、『日本書紀』には「頭尾各有八岐」とあります。『日本書紀』にあるように、頭と尾に八つ分かれ目があるなら「八俣」の名は相応しいですが、『古事記』にあるように「八頭八尾」だと、頭と尾の分かれ目は七つなければなりませんので、本来は数が多いという意味での「八」(「八百万」の「八」などと同じ用法)を実際の数に当てはめようとした結果、伝によって違いが生じたのかも知れません。このヤマタノヲロチに関係する一連の神話には、非常に多く「八」という数字が用いられています(クシナダヒメが八人姉妹の末娘である(実数の八ではないともされています)、ヤマタノヲロチを酔わせるために用いた八塩折酒、スサノヲが詠んだ八雲立つ出雲……の歌など)。
 古代日本では「4(yö)」(数量無限を意味する「愈(イヨ)」と同じ音)が最大数であったと考えられていますが、yö の母音交替形 ya が登場し、これが無限・多数を表す極限数に用いられるようになったのではないかとされています(「八百万」などの語の例にもあります)。

※1……「赤加賀智(紀では「赤酸醤」)」とは釈紀に「是今保々都岐者也(これは今でいうほほずき(ほおずき)のことである)」とあります。
※2……簸川。川上でスサノヲがヤマタノヲロチを退治したとされる川で、島根県の斐伊川がこの川のことではないかといわれています。

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節分

2015.02.03 19:06|四季おりおり
 節分は、もとは春・夏・秋・冬の節の分かれ目ということで、立春・立夏・立秋・立冬の4つを意味していましたが、現在では立春の前日のみを「節分」と呼んでいます。
 この立春の前日に行われる節分は、もともと中国の宮廷儀式が奈良時代に日本に伝わったもので、平安時代に大晦日に行われる「鬼やらい」、「追儺(ついな)」となりました(この行事が大晦日に行われたのは、当時は立春が一年の始まりと考えられていたためです)。節分の日に豆をまくようになったのは室町時代からで、この行事が庶民に広がったのは江戸時代だそうです。
 豆をまくことに関しては、豆が「魔目」なので鬼の目を退治できるという説、豆が「魔滅」を意味するという説、五行説では硬い豆が「金」に当たるので金の気を打ち消して春(木)の気を助けるという説など様々ありますが、健康であることを「まめ」というのが大豆の「豆」に語呂を合わせたものであることから、豆、特に日本人にとってなくてはならない食材である大豆が、邪気を祓い、健康をもたらすものと考えられていたということはできるようです。
 季節の変わり目には鬼が疫病や災いをもたらすと考えられていたため、このような行事が行われるようになったそうですが、立春から数えて88日目の「八十八夜」や、同じく210日・220日の「二百十日」「二百二十日」などは農業の目安日となっていたり、節分の日に「豆を打つ」ではなく「豆をまく」のは農作業で豆を畑に蒔くしぐさを表していたりと、節分は農業と結びついた行事でもあるようです。
 豆まきでは、年男が「鬼は外、福は内」と言いながら鬼を外へ追い出すように豆をまき、福が逃げないように家の戸を閉めていきます。豆は自分の年の数、もしくはそれより1つ多く食べると1年間 無病息災に過ごせるといわれています。お年寄りはたくさん豆を食べるのが大変なので、豆にお茶を注いで「福茶」として飲んでも、豆を食べたのと同じ御利益があるそうです。
 節分といえば、最近では恵方巻きが流行っていますが、これはもともと関西発祥の行事のようです。恵方とは明(あき)の方ともいい、その年の福を司る神様(歳徳神)がいらっしゃる「よろず吉」の方角。この恵方巻では、恵方を向いて、七福神に因んだ7種類の具が巻かれた太巻きを無言で食べるのが約束事となっています。
 ちなみに今年の恵方は、おおよそ西南西だそうです。

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