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お稲荷さん(食べ物にまつわることば・4)

2015.10.31 19:29|ことば
 「お稲荷さん」といえば、稲荷神社の呼び方の他、いなり寿司を指します。これは言うまでもなく、稲荷神社の祭神がキツネであることからきています(油揚げは、狐の大好物とされているため)。
 この他にも、いなり寿司は「しのだずし」「きつねずし」ともいいます。「しのだ」は有名な信太妻(しのだづま)からで、これは信太の森の葛の葉狐(くずのはぎつね)という白狐が、安倍保名と結婚し、一子をもうけたという話です(この子どもが、後の安倍清明とされています)。
 稲荷信仰では主祭神が倉稲魂(うかのみたま)。『日本書紀』によれば倉稲魂は、イザナキ・イザナミから、あるいはイザナキがカグツチ(火神。この神を生んだため、イザナミは火傷を負って神避ったという)を斬った時に生まれた神とされています。ウカとは食料の意。因みに稲荷神社で狐が信仰されるのは、食稲魂が食物を主宰する神・御食津神(みけつかみ)であり、その神名が「三狐神(みけつかみ)」と当て字されたことに因んでいるといいます(※諸説あります)。
 余談ですが、お稲荷さんは東西で味付け・形などに違いがあるといわれます。東日本では中に入れるご飯は酢飯、西日本では中に入れるご飯は五目ご飯のようです。
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テーマ:ことば
ジャンル:学問・文化・芸術

おにぎり(食べ物にまつわることば・3)

2015.10.30 20:28|ことば
 古くは「屯食(とんじき)」と呼ばれていました(『源氏物語』に登場しています)。平安時代には、強飯を握りかため、卵形にしたものをいったようです。この屯食は、主に饗宴などの際に、家来にお弁当として与えられた食べ物だったようです。
 現在の呼び名には、「おむすび」と「おにぎり」があり、これは地域差があるようです。「おにぎり」は名前の通り、ご飯を「握った」食べ物であることからの名前。「おむすび」は、神聖な食べ物であるお米を握った食べ物を、「むすびの神」(産霊。詳しくは「わのこと」→「日本神話における皇祖神」の「2.タカミムスヒ」をご参照下さい)の名前になぞらえたという説もあります。

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ジャンル:学問・文化・芸術

野菜と果物(食べ物にまつわることば・2)

2015.10.29 21:24|ことば
 『広辞苑』で「くだもの」を調べたところ、[「木(く)の物」の意]とありました。「くだもの」の「だ」は「の」の意ということになります。
 『古語辞典』には、「くだもの」には果実の意味のほか、「間食物の総称」(つまり、お菓子も含まれる)、「酒のさかな」の意味もあるとありました。
 お菓子の「菓」は現在私達が思い浮かべる「果物」の意で、昔は果実が間食として食されたことから、この名がついたそうです。今は「お菓子」といえば、和菓子や洋菓子を想像しますが……。ちなみに、果実は和洋菓子に対して「水菓子」として区別されます。
 菓子は食事と食事の合間に食べる軽い食事のこと(つまり間食)をいったそうで、必ずしも甘い物である必要はなく、木の実草の実は「木菓子」などと呼ばれたそうです。
 現在は「和菓子」「洋菓子」という区分がありますが、昔からの日本のお菓子といえば「和菓子」。「和菓子」「洋菓子」という区分は、大正時代に出来たものなのだそうです。
 本題に戻って、野菜と果物について。
 農林水産省では「野菜」は「草の葉や実を食べるもの」、「果物」は「木になる果実」とされているそうです。これは、草本類と木本類という分類になります。
 一方で、市場の方は「おかずになるのが野菜、おやつにするのが果物」と答えられたそうです。
 そうすると、農林水産省ではイチゴやメロンは野菜ですが、市場では果物になります。逆に、農林水産省ではウメの実やギンナンは果物ですが、市場では野菜となるそうです。
 裁判の国アメリカでは、19世紀にトマトが果物か野菜かをめぐって裁判になったとか(判決は、「デザートに出すものではないから野菜」である)。
 果物と野菜とで関税が異なるために起きた裁判だそうですが……果物と野菜とを明確に区別するのはなかなか難しいようです。

テーマ:ことば
ジャンル:学問・文化・芸術

おいしい(食べ物にまつわることば・1)

2015.10.28 19:33|ことば
 以前の記事で、女房詞(宮中の女性が使っていた社会方言の一つ)について書きましたが、「おいしい」ということばも女房詞と関係するなあ……と思ったこと、季節もまさに「食欲の秋」であることから、「食べ物にまつわることば」について何回か書いていこうと思います。
 まずは「おいしい」ということばについて。

 「おいしい」ということばは、古くは「美し(いし)」といいました。
 これは主に女性が用いたことばで、のちに接頭語である「お」をつけ、「おいしい」となり、それが一般にも用いられるようになったといいます。なお、方言で〈甘い〉を表すことばに、「ウマイ」があります。これは甘さ=美味の代表格ととらえられていたということを示しているのでしょう。
 ちなみに、「いし」を二つ重ねた「いしいし」とは、女房詞でいう「お団子」のこと(「まるまる」も同じく女房詞でお団子のことをいいます)。

テーマ:ことば
ジャンル:学問・文化・芸術

国立歴史民俗博物館に行って来ました

2015.10.26 19:30|旅行
 先週の話ですが、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に行って来ました。
 何年か前に一度行ったことがあるのですが、時間の関係で後半の展示をあまりゆっくり見られなかったので、今回は後半の展示をじっくり見て来ました。
 第1展示室は原始・古代、第2展示室が中世、第3展示室が近世、第4展示室が民俗、第5展示室が近代、第6展示室が現代、となっています。見ていて一番面白いのはやはり、原寸大(原寸でないものもありますが)の復元模型やジオラマ。原始・古代には三内丸山遺跡の復元、中世には貴族の邸宅の一部復元、近代には浅草の街並実物大復元……など、各展示室ごとに復元があって面白いです。
 今回 一番じっくり見たのは「民俗」でしたが、変遷する「おせち」の紹介コーナーは、まるで本物のおせち売り場のようでした。
 同じ民俗コーナーに百鬼夜行絵巻(真珠庵蔵)のフィギュアがあったのですが、これがうまくできていて、思わず欲しくなりました。

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 余談ですが、百鬼夜行絵巻は、国際日本文化研究センターの「絵巻物データベース」で全体を見ることができます。
 民俗コーナーは他にも、人生儀礼の再現などがあり、今の私たちに身近なものについて、新しい発見ができるコーナーだと思います。
 復元以外の展示品も、よくよく見ると説明文に秀逸なものが多く、さすが……! と思いました。
 とくに近現代の展示には、考えさせられるものが多いですね。時代劇などに描写が全くないわけではありませんが、明治期に「平等」を掲げ「近代国家」に生まれ変わろうとした日本が、近世期に抱えていた数多くの「差別」に改めて目を向け、また、それらをどのように乗り越えようとしたか、などはあまり深く掘り下げられていない(……というより、エンターテインメントなので、あまりその辺りは描写できないのかもしれませんが)ので、「江戸時代は古き良き時代だった」、「明治になって日本は四民平等になった」と安易に言うことがはばかられるような社会の暗部も展示しているのが、やはり博物館だなあ……と思いました。
 またいろいろな博物館に行きたいですね。何度も行っていますが、江戸東京博物館も好きです。

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル:学問・文化・芸術

新・映像の世紀

2015.10.24 19:41|雑記
 以前の記事に書いた『映像の世紀』という番組が、明日から『新・映像の世紀』として再びスタートするようです(それに先立ち、デジタルリマスター版も放映されていました)。
 前作が放映された20年前は、戦後50年という節目の年でした。そのこともあり、『映像の世紀』は、私の中に「戦争」のイメージを強く焼き付けた作品です。

 Webサイト:http://www.nhk.or.jp/special/eizo/
 デジタルリマスター版:http://www.nhk.or.jp/special/digitalremaster/

テーマ:TV番組
ジャンル:テレビ・ラジオ

花街あれこれ③(源氏名)

2015.10.21 21:21|花街あれこれ
 「源氏名」は、遊女が『源氏物語』五十四帖の巻名になぞえて名前をつけるもので、妓楼に代々伝わる名前でした。『源氏物語』の巻名だけでは数が限られるので、それぞれ風雅な名前をつけられる場合もありました。
 一方で、辰巳芸者(※深川が江戸城の南東=辰巳にあったことから辰巳芸者といいます)は源氏名ではなく「権兵衛名」を用いていました。権兵衛名は男名で、辰巳芸者が男名を用いたのは、男芸者を偽装して、遊里への幕府の捜査の目をごまかす狙いがあったためだとか。
 ちなみに、宿場女郎などは一般市井と同じく「おの字名」で呼ばれたそうです。「おの字名」とは、例えば「お七」「お仙」など、「お○○」という呼び方のことをいいます。
 なお、一般市井の女性はこの「おの字名」を普通に用いていますが、大奥では将軍の側室以上でなければこの「おの字名」で呼ぶことはできなかったそうです。

テーマ:日本文化
ジャンル:学問・文化・芸術

花街あれこれ②(遊女の位)

2015.10.18 20:51|花街あれこれ
 吉原と並び有名なのは京都嶋原ですが、嶋原では長く「太夫職」が存在した(現在もいらっしゃいます!)のに対し、吉原では最高位の太夫職が消滅してしまいました。
 そのため、吉原のイメージが強い「遊郭」の最高位の遊女は「花魁」というイメージがありますが、「花魁」は「太夫」を指したり、太夫やそれに次ぐ位の格子を指したり、太夫・格子職が消滅した後の「呼出」・「昼三」・「附回」の3つの位の遊女を指していたともいいます。
 (エンターテインメントなのであまり堅苦しくいうのも何ですが、)時代物の漫画や小説や映画だと「花魁」ですべてくくってしまいますが、必ずしもみなが横兵庫を結っていたわけではないですし、みながみな「~でありんす」と言っていたわけでもないようです……。

 太夫
 公娼最高位の遊女(松)。
 能ではシテの尊称として使われていた。
 江戸時代初期、京の街や四条河原で能の興行があって、遊女の中ですぐれた者が出演したとき、それらを昔の用例に従って太夫と称した。それが起源となって、遊女の上職を太夫と称したと伝えられている。
 天和・貞享のころ揚代(=芸娼妓を揚屋に呼んで遊ぶ代金)は銀76匁(※ 銀60匁=1両)。(『女性語辞典』東京堂出版)
 嶋原・大坂新町などでは「こったい」と呼ぶ(「こちの人」から。「うちの人」の意)。
 松の位は大夫の異称で、秦の始皇帝が雨宿りをした松に大夫の位を授けた故事によるといわれる。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版)

 格子
 太夫に次ぎ、局女郎の上に位した女郎。上方の天神職に相当。表通りに面した格子の中に控えていたことから。(『広辞苑第五版』岩波書店)
 新吉原初期(寛文年間)に端女郎より分れた者である。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版)

 散茶
 山茶とも。
 元禄頃、吉原に出現した遊女の位。
 元は町中の風呂屋女(垢掻、あかかき)であったものを、寛文5年、奉行所がからめとり、これを吉原に投入し、堺町、伏見町に定住せしめた連中の階級名であったが、やがてこの階級から優秀な遊女が輩出したのと、その謙虚な態度が客の好みに合ったのとで次第に勢力を伸ばし、やがて従来存在していた太夫、格子などの上位階級を凌いで最上位にのぼった。のちの座敷持・部屋持の昼三がそれである。「さんちゃ」の呼称は、従来先住した太夫・格子が唱えた蔑称で、「さんちゃ」は床に入っても客を「ふり出さない」ことからつけた名という。(『女性語辞典』東京堂出版)

 呼出
 太夫・格子の位がなくなって以後、散茶の中から出た最上位の遊女。張見世をせず、仲の町で客に会ったのでいう。(『広辞苑』第五版)
 太夫、格子の地位にとって代るのが、呼出といわれる遊女で、仲之町を道中する特権をもつ。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版)
 昼三のなかで上級なのが呼出女郎。道中をするのはこの花魁であった。(『江戸吉原図聚』中公文庫)

 昼三
 昼夜で揚げ代が3分であったことから。「中三」とも書く。太夫・格子女郎のなくなって以後、最高位の女郎。古くは散茶女と呼んだ。(『広辞苑第五版』岩波書店)
 呼出と同じ散茶系、やはり仲之町を道中できる。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版)
 呼出でない昼三を平昼三と呼んだ。(『江戸吉原図聚』中公文庫)

 附廻し
 昼三につぐもので、揚代が2分で、昼夜別々の切売り、つまり片仕舞はしなかった。(『江戸吉原図聚』中公文庫)
 呼出・昼三と同じ散茶系で、付廻しという道中も張見世もできない階層。(『日本史小百科 遊女』東京堂出版)

 埋茶
 梅茶とも。
 散茶を水で薄めたものを埋茶(梅茶とも)と呼んだことからという。
 寛文年中、吉原に生じた階級名。当初は太夫・格子・散茶についで第四位であったが、散茶の昇格とともに第二位となって呼び名も座敷持・部屋持となった。(『女性語辞典』東京堂出版)

 新造
 振袖新造(振新)、袖留新造(留新)、番頭新造(番新)がある。
 振袖新造は禿からなるもので、客を取るものと取らないものがあった。鉄漿をつけず、振袖を着て、姉女郎の道中のお供をした。
 袖留新造は振袖新造によい客がつき、袖留にして一部屋をもち、上妓になれない見世張の突出し※で一本になった遊女。
 番頭新造は昼三など上妓の世話をした。年季明けののち勤めるので三十歳を過ぎていて、色を売ることはなかった。(『江戸吉原図聚』中公文庫)

※突出しとは新造がはじめて客を取り、一本立ちするお披露目のことをいう。
 見世張突出しと道中突出しとがあり、前者は呼出しになれない遊女がするもの、道中の突出しは最高の呼出し昼三になるものがするもので、普通「突出し」とは後者を指す。道中突出しの費用は御役といわれる後ろ楯になる姉女郎が負担し、全額の費用は二百~五百両を要したという。(『江戸吉原図聚』中公文庫)

参考:『女性語辞典』(東京堂出版)、『江戸吉原図聚』(中公文庫)、『日本史小百科 遊女』(東京堂出版)、『広辞苑』第五版(岩波書店)、『日本風俗辞典』(弘文堂)、北村鮭彦『お江戸吉原ものしり帖』(新潮文庫)

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花街あれこれ①(ありんす国)

2015.10.15 19:08|花街あれこれ
 江戸時代で有名なものといえば「吉原」。吉原は「公娼地」、すなわち幕府公認で営業を許されていました。もっとも、岡場所・飯盛旅籠など、江戸時代、有名な私娼地は数多くありました。
 吉原はもともと日本橋(現在の日本橋人形町)に作られましたが、明暦の大火(1657年)で焼失し、後に移転して「新吉原」となりました。よく知られている「吉原」のイメージは、「新吉原」のほうが強いようです。
 その新吉原、現在でもその区画割が残っています。東浅草小学校近く、「吉原大門」という信号がある辺りがそうで、現在の台東区千束四丁目に当たります。現在でも、吉原神社、吉原弁財天、吉原公園など、地名としては残っています。「吉原大門」の信号から南西方向へ行ったところがかつての新吉原内で、新吉原から北西方向には、投げ込み寺として知られる「浄閑寺」があります。
 ちなみに、「吉原」という地名は、元吉原が葺屋町に建設されることになったとき、葺屋町一帯に葦が生えていたことに因むといいます。「葦」が「悪(あ)し」にかかりよくないので、悪を吉に変え「吉原」にしたのだとか。
 吉原特有の「里言葉」(遊里で用いられる語彙・語法。廓言葉とも)から、吉原は「ありんす国」とも呼ばれました。「里言葉」は、もとは遊女の生国方言を隠すために生まれたといわれ、京都嶋原に始まり吉原に移ったとされます。
 里言葉の代表的なものに、「あります」=「ありんす」、「わたし」=「わちき」があります。ただ、里言葉は妓楼や、時代によって違いがあったようです。
 富裕または上流階級の女性が用いたとされる「ざます言葉」も実は里言葉で、「ざます」とは吉原で「です」のこと。それでは何故、遊女のことばが上流階級の女性に使われたのかというと、これには「明治新政府の高官が吉原で遊んで覚えたものを、家庭に持ち込んでそこから波及した」とする説と、「吉原の遊女が落籍され、明治新政府の高官の妻となったため」という説とがあるようです。

 参考:吉原神社(http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/

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女房詞

2015.10.12 10:55|ことば
 毎日 しゃもじを使っているのですが、「そういえばこれも一種の社会方言(女房詞)だったなあ……」とふと思ったので、以下、女房詞について書いています。
 ちなみに、女房詞とは、宮中奉仕の女官が使っていたことばで、後に町家の女性にまで広がったことばのことをいいます。

 女房詞には一定の造語パターンがあり、そのうちの一つに「もじ言葉」があります。これは、物の名の下に付けて、その物を婉曲的に表現した用法で、現在も用いられている「しゃもじ」(杓子)などがそうです。
 この他、「あもじ」(姉)、「いもじ」(烏賊)、「うもじ」(内方=他人の妻の敬称または宇治茶のこと)、「えもじ」(海老またはエソ=狗母魚)、「おくもじ」(茶漬け飯)、「おはもじ」(恥ずかしいこと。はもじ)、「おめもじ」(お目にかかること。めもじ)、「かもじ」(母または妻。「髪」を意味する「かもじ」もある)、「くもじ」(還御または酒、あるいは漬けた菜)、「こもじ」(鯉または小麦)、「すいもじ」(好いた相手)、「すもじ」(寿司)、「そもじ」(あなた、そなた)、「ともじ」(父)、「にもじ」(にんにく)、「ぬもじ」(盗人)、「ねもじ」(練貫、練り絹、葱)、「ふたもじ」(韮)、「ふもじ」(鮒または文)、「ほもじ」(干飯)、「みもじ」(味噌)、「ゆもじ」(浴衣)、「りんもじ」(悋気。やきもち)などがあります。
 他に有名な女房詞には、頭に「お」を付けるものがあります。強飯が「おこわ」となり、田楽が「おでん」となったのがこの例です。おかず、おひやなどもそうです。

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