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信州の伝説・2 鬼女紅葉伝説

 「信州の伝説・1」でも取り扱った鬼女紅葉伝説。私は行けなかったのですが、19日に鬼無里で「鬼女もみじ祭り」が開催されたそうです(戸隠でも「鬼女紅葉祭り」が開催されました)。
 まだサイト上でまとめる時間がとれそうもないので、「信州の伝説・1」の鬼女紅葉の記事を下に記載しました。
 季節もちょうと錦秋の頃ということで、タイトルは「多彩な信州の秋と出会う─信州の紅葉と伝説─」としています。

 戸隠と鬼女「紅葉」
 信州でも指折りの紅葉の名所・戸隠。とくに10月下旬から11月にかけては、赤く染まった鏡池と戸隠山とのコントラストや荒倉山の紅葉、奥裾花渓谷(日本百景の一つ)の秋景色など、見所が多い。
 しかし、この秋に色づく木々の葉とは別の「紅葉」にまつわる物語が、戸隠には伝えられている。
 それは、ちょうど紅葉のころに討たれた、鬼女紅葉の伝説だ。

 紅葉伝説のあらすじ
 1​8​8​6年に出版された小説『北向山霊験記・戸隠山鬼女紅葉退治之伝全(※1)』によれば、紅葉(幼名:呉葉)は9​3​7年秋、奥州会津に生まれた。子どもに恵まれなかった両親(※2)が第六天魔王に祈って生まれた子どもであったためか、才色兼備であると同時に、不思議な力を持っていたという。
 9​5​2年、上洛した紅葉は琴を教えて暮らしを支えていたところを源経基(※3)に見初められる。しかし、呪術を用いて経基の奥方を退けようとしたため、9​5​6年秋、信州戸隠に追放された。
 追放された後も紅葉は京での暮らしが忘れられず、水無瀬(現在の長野市鬼無里)に京ゆかりの地名をつけるなどして京を偲んだ。京の文物に通じていた紅葉は、地元の人々からは優雅で高貴な女性として崇められていたという。
 その一方で、紅葉は京に上るための軍資金を集めようと、一党を率いて荒倉山にこもり、毎夜近隣の村々を荒らしていた。この噂が戸隠の鬼女として京にまで届き、平維茂(※4)に紅葉討伐が命じられた。
 維茂は笹平(長野市)に陣を張り出撃したが、紅葉の妖術によって返り討ちにあう。そこで維茂は信州別所(上田市)の北向観音に参詣し、降魔の剣を賜った。再び攻められた紅葉は降魔の剣の前に通力を失い、ついに討たれてしまう。時に9​6​9年、紅葉33歳の晩秋のことだった。

 伝説の源流
 以上がよく知られている鬼女紅葉の伝説だが、紅葉の出生や、源経基に寵愛されたのち戸隠に追放されたくだりなどは、先述の小説から付け加えられた設定らしい。
 さらにいえば、鬼女紅葉伝説そのものが、室町時代に観世小次郎信光(※5)によって作られた能・紅葉狩の影響を受けて生まれたもののようだ。能では、維茂が戸隠へ鹿狩りにやって来たところ、紅葉狩りに来ていた美女(正体は鬼)と出会う。美女の振る舞った酒によって眠らされた維茂だが、八幡神の託宣で神剣を授かり、鬼を退治する、という筋になっている。
 しかし、能に登場する鬼は「美女に化けた鬼」であって、鬼女ではない。小松和彦『日本妖怪異聞』(講談社、1​9​9​2年)によれば、戸隠にはほかに「九しやう大王」という男の鬼にまつわる伝説があった。その中には、「九しやう大王」の部下の鬼が貴女に化け、鬼討伐に訪れた大臣を酒で眠らせるという、能によく似た設定がある。どうやら、もともと戸隠にあった鬼の伝説が能の影響を受けて伝わり、さらに「女に化けた鬼」から「貴女変じて鬼女となった紅葉という女性」の伝説へと、変化していったものらしい。

 今なお残る紅葉の足跡
 戸隠・鬼無里にはほかにも鬼にまつわる伝説(※6)がいくつかあるが、現在残る古跡には、鬼女紅葉伝説に関連するものが多い。たとえば、紅葉が京を偲んで名付けた東京(ひがしきょう)・西京(にしきょう)や、紅葉が維茂に毒を盛ったとされる毒(ぶす)の平(だいら)、鬼女紅葉がいなくなったことから名付けられた「鬼無里」という地名が、今も残っている。また、紅葉が大事にしていた地蔵尊を祀る寺(松巌寺)もあり、紅葉が実在の女性だったのではないかと思わせるものがいくつも残されている。
 晩秋の戸隠連峰は、シラカバやモミジが黄色や赤に美しく染まる。その美しい紅葉と、貴女に変化し退治された鬼と、紅葉狩という作品の名前から、鬼女に変じた紅葉という女性の伝説が生まれたのかもしれない。そしてその伝説は地名や古跡として、現在も戸隠に息づいている。
 長い冬の訪れを前に、信州の美しい秋景色を眺めながら、戸隠の美しい紅葉が生んだ鬼女紅葉の伝説に、思いを馳せてみてはいかがだろうか。

 注
 (1) 斎藤一柏、関依川 著。「北向山」とは上田市別所にある北向観音(天台宗の寺院)のことで、この小説は別所の人間が、北向観音の霊験を伝えるために編集したものとされる。ちなみに別所の地名は、信濃守だった平維茂が「別荘」としたことに因むといい、別所には紅葉との戦いで死傷した維茂の墓とされる将軍塚がある。
 (2) 伴笹丸・菊世という夫婦。小説には、笹丸は8​6​6年に起きた応天門の変の首謀者として伊豆に流された、伴善男の血を引いているとある。
 (3) (?~9​6​1)平安中期の武将。清和源氏の祖。酒呑童子や土蜘蛛退治の逸話で知られる、源頼光の祖父に当たる。また、経基の子・満仲(多田満仲)が戸隠山の鬼を退治したという話が、『太平記』に見られる。
 (4) 生没年不詳。平安中期の武将。伯父・平貞盛の養子となり、15番目の子だったことから余五将軍とも呼ばれる。維茂が戸隠山で鬼退治したという話は、江戸時代以降『大日本史』『和漢三才図会』などに見られる。
 (5) (1​4​3​5~1​5​1​6)室町後期の能役者・能作者。作品に『船弁慶』、『羅生門』、能『道成寺』の原型となった『鐘巻』など。
 (6) 源満仲の鬼退治(『太平記』)のほか、荒倉山に棲む官那羅という鬼が在原業平に騙されて青葉の笛を盗まれた話や、天武天皇の遷都計画を阻むため、鬼が一夜で山を築いたという一夜山の伝説が伝わっている。

 長野県の名所・旧跡を訪ねようとすると、山道を歩いたり、険路を行かなければならないことが頻繁にあります(戸隠神社の奥社など)。これだけ山に囲まれていれば、中央とは異なる文化をもつ人々(まつろわぬ民)が暮らしていたでしょうし、そういったまつろわぬ民(鬼や妖怪)が長らく棲んでいたと考えられるのも自然なことだとつくづく思います。
 日本人にとって、山は、それ自体が信仰の対象でしたし、他界でもあった。だから山を生業の場とするマタギには、山で使う「忌み言葉」があった。
 そんな山で囲まれ、その山が秋には美しく黄金色に染まるのを見ている中で、その錦秋の様子を冠するに相応しい美しい鬼が、悲しい伝説を伴って、山の中に棲んでいた──と、そういう物語が出来てくるのも、不思議ではないかもしれません。
 鬼女紅葉に限らず、悪路王や土蜘蛛など、朝廷に反抗したことで鬼や妖怪と見なされていった「まつろわぬ民」についても、また色々調べてみたいと思います。
 参考にした本↓

日本のまつろわぬ民日本のまつろわぬ民
(2011/04/22)
水澤 龍樹

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