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近代の日本語について(漢字・1)

※「ことのは」で書ききれそうにない項目について、随時拾い上げていくつもりのシリーズです。

 明治維新は、西欧列強と肩を並べる近代的な中央集権国家・日本の成立を目指す改革であったので、ことに明治初期は国語、すなわち日本語に対する意識もひじょうに高まっていました。標準語確立、方言撲滅、辞書の編纂などさまざまな運動が起こり、日本語史上ひじょうに興味深い時代なのですが、今回は「漢字」について。

 もともと文字をもっていなかった日本に漢字が輸入され、日本人は漢字からひらがな・かたかなを作り出しました。輸入された時代によって音が違ったり(漢音・呉音・唐音)、字体が複数だったり、漢字はさまざまな問題を抱えながら現在に至っているのですが……。
 すでに江戸時代のころから、仮名書きやローマ字書きのほうが便利であるといった意見が国学者や蘭学者から出ていました。たとえば、近代郵便制度の創設者・前島密(1835-1919)は、1866(慶応2)年、幕府開成所反訳方(ほんやくがた)だったころ、最後の将軍・徳川慶喜(1837-1913)に「漢字御廃止之儀」という文書を提出しています。
 ちなみに、前島密は明治初期に、ひらがなが主体の「東京仮名新聞紙」や、数字を除き全文がひらがなという「まいにちひらかなしんぶんし」などの新聞を創刊するほどのひらがな推進論者。漢字全廃、ひらがな推進を自らの手で押し進めたのです。ですが、「まいにちひらかなしんぶんし」などはすぐに廃刊となってしまいました。なぜか?
 ひらがな・かたかなの「仮名」に対し漢字が「真名」と呼ばれていることからみても、漢字というのは「公の場」で用いられるもの、という認識が古くからありました。言い換えれば、漢字使用者の多くは有識者、いわば上流階級の人びと。明治初期においてもまだ、学問の中心は漢学であり続けました。
 そして、新聞創成期にはまだ、新聞紙を読む人びとというのは、知識人に限られていたのです。学問=漢学という知識人にとって、漢字で書かれた新聞を読むことこそが、特権階級の証だったのです。新聞社としては、誰もに読んで欲しいと願いつつ、高い新聞を買うのは知識人のため、読者を限定する漢字で新聞を書かなければならない……というジレンマがあったようです。
 明治5年に文部卿(文部大臣)大木喬任(1832-1899)の指令によって『新撰辞書』が編まれ、漢字を3160字(3167字であったと伝わっています)に節減するよう提唱されました。福沢諭吉(1834-1901)も、これを受けるような形で、明治6年に「文字之教」の中で「社会で用いる漢字は2000か3000でよい」とし、漢字漸減論を唱えました。

(つづく)
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