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鏡について

 前回 三種の神器について触れたので、その中でも最も重視されたと考えられる、鏡についてもう少し掘り下げました。

 『古事記』においてアマテラス(天照大神)は、葦原中國へと降臨する孫のホノニニギに鏡を与え、その鏡を自分の魂とし、自分を拝むようにこの鏡を拝みなさいと告げています。古代の人は水に映った姿や影を、自分の魂と考えたといいます(幕末にあっても、写真を撮ると魂が抜けると怖れられていましたが、これも自分の霊魂が自分の体の外に抜き取られることを怖れたためと考えられます)。鏡は水よりも鮮明に人の姿を映すため、霊魂を映し出す神聖な道具としてとらえられたのでしょう。邪馬台国の女王・卑弥呼が銅鏡を与えられたことは『魏志』倭人伝に記載されていますが、霊魂を司るシャーマンにとって鏡は重要な呪具であったと考えられます。
 このほか、倭建命(やまとたけるのみこと)が船に鏡を懸けて陸奥国に侵攻したところを、それを見た蝦夷の首長は戦わずして降伏した話などがあり、鏡には呪術的な力があったことが窺えます。
 また、鏡は太陽の光を反射するので、太陽と鏡は深く結びついていました(太陽は円形に輝く天体であり、地上において円形に輝くものの代表が鏡であったこととも由来していると考えられます。太陽の異称に「紅鏡(こうきょう)」ということばもあります)。『古語拾遺』には、天の岩屋戸に用いられた「鏡」が、天照大神の姿を象ったものだと記されています。このとき最初に作られた「日の像(みかた)の鏡」は神々があまり気に入らなかったので、それは日前神社(和歌山県)の御神体とされ(紀伊の日前神)、次に作られた鏡が「伊勢大神」(伊勢神宮の御神体である八咫鏡と考えられます)となったそうです。
 『日本書紀』に記載されている別伝では、アマテラスが「白銅鏡」から生じたという伝もあります。奈良時代には銅と白鑞(錫)の合金を白銅と呼んでいました。
 なお、「鏡」ということばについて、中西進『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』(小学館、2003年)に、「かがやく」などと同源ではないかとする考えが載せられています。「かがやく」とは光が明滅することで、「かがやく」の「かが」は「かげ」や「かぎろひ」などと同じではないかともあります。 完璧な美を備えるかぐや姫の「かぐ」の語源も、「かがやく」などと同じとされています。
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