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花街あれこれ①(ありんす国)

 江戸時代で有名なものといえば「吉原」。吉原は「公娼地」、すなわち幕府公認で営業を許されていました。もっとも、岡場所・飯盛旅籠など、江戸時代、有名な私娼地は数多くありました。
 吉原はもともと日本橋(現在の日本橋人形町)に作られましたが、明暦の大火(1657年)で焼失し、後に移転して「新吉原」となりました。よく知られている「吉原」のイメージは、「新吉原」のほうが強いようです。
 その新吉原、現在でもその区画割が残っています。東浅草小学校近く、「吉原大門」という信号がある辺りがそうで、現在の台東区千束四丁目に当たります。現在でも、吉原神社、吉原弁財天、吉原公園など、地名としては残っています。「吉原大門」の信号から南西方向へ行ったところがかつての新吉原内で、新吉原から北西方向には、投げ込み寺として知られる「浄閑寺」があります。
 ちなみに、「吉原」という地名は、元吉原が葺屋町に建設されることになったとき、葺屋町一帯に葦が生えていたことに因むといいます。「葦」が「悪(あ)し」にかかりよくないので、悪を吉に変え「吉原」にしたのだとか。
 吉原特有の「里言葉」(遊里で用いられる語彙・語法。廓言葉とも)から、吉原は「ありんす国」とも呼ばれました。「里言葉」は、もとは遊女の生国方言を隠すために生まれたといわれ、京都嶋原に始まり吉原に移ったとされます。
 里言葉の代表的なものに、「あります」=「ありんす」、「わたし」=「わちき」があります。ただ、里言葉は妓楼や、時代によって違いがあったようです。
 富裕または上流階級の女性が用いたとされる「ざます言葉」も実は里言葉で、「ざます」とは吉原で「です」のこと。それでは何故、遊女のことばが上流階級の女性に使われたのかというと、これには「明治新政府の高官が吉原で遊んで覚えたものを、家庭に持ち込んでそこから波及した」とする説と、「吉原の遊女が落籍され、明治新政府の高官の妻となったため」という説とがあるようです。

 参考:吉原神社(http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/
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