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花街あれこれ④(江戸時代の化粧について)

 吉原だけに限りませんが、江戸時代のお化粧について。

 【お歯黒】
 江戸時代の特徴的な化粧といえば「お歯黒」。お歯黒をして眉を剃る、というのが、江戸時代の既婚女性の姿でした。因みに、平安時代には上流階級の女性は皆、一定年齢になるとお歯黒をし、眉を剃ったそうです(※1)。
 江戸時代には、黒は他の色に染まらないことから、お歯黒は貞女のしるしとされ、既婚女性であれば誰もがお歯黒をしました。京坂では、遊女や芸者もお歯黒をしたそうです。逆に江戸では吉原の遊女はお歯黒をしたそうですが、芸者はお歯黒をしなかったなど、お歯黒は基本的には既婚女性のするものでしたが、地域差もあったようです(※2)。
 お歯黒は、もとは歯槽膿漏や虫歯予防のためのものであったようですが、明治期以降は禁止されました(※3)。
 【白粉】
 昔は室内が暗かったことから、女性の顔を明るく見せるために顔を白くする化粧が生まれたのが、白粉の始まりともいわれています。古くは米や粟の粉で白くしたそうですが、江戸時代には鉛白から作った白粉が普通でした。
 【紅】
 紅(口紅)は高価なものでしたので、多くは上流階級の女性、あるいは遊女がつけたといわれます。
 「笹紅」と呼ばれるものもあり、これは紅を濃く塗り、黒色を帯びた青にする紅の塗り方をいいました。
 【既婚女性の装いについて】
 よくいわれるのが既婚女性の眉剃りとお歯黒ですが、 『守貞謾稿』によれば、江戸・京都・大坂では未婚女性は島田髷、既婚女性は両輪(京坂)と丸髷(江戸)が専らで、江戸では丸髷にして眉を剃り、お歯黒をつけることを「元服」といい、京坂では「かををなおす(顔を直す)」といったそうです。
 丸髷を結い、お歯黒をしても眉を剃らない場合もあったそうですが、こうした状態は江戸では「半元服」、京坂では「かねつけ」(「かね」は鉄漿、お歯黒のこと)と呼んだそうです。
 京坂では新婦はお歯黒だけして、眉を剃らなかったそうですが、大抵は妊娠すると眉を剃り、まだ嫁いでいなくても、20数歳になればお歯黒をし、眉を剃ったそうです。
 京坂では嫁げば必ずお歯黒をしたようですが、江戸では15~17歳の新婦であればお歯黒をしなかったそうです。また、江戸では、京坂同様、嫁いでいない女性であってもお歯黒をし、眉を剃ったそうですが、お歯黒をし、眉を剃るのは、京坂よりも若干早く18~19歳であったということです。

 ※1……平安中期・後期頃からは公卿の男子もお歯黒をしました。女性の成人のしるしとしてお歯黒をするようになったのは、室町時代からのようです。室町時代後期、戦国時代の始まる頃には、上流武士などもお歯黒をつけたといいます。
 ※2……眉剃やお歯黒については、『守貞謾稿』に、「京坂の女二十歳、江戸は二十未満の少女もいまだ嫁さずして歯を染むる者太(はなは)だ多し」「京坂の遊女および芸子ともに専ら歯を染むるなり。けだし島田曲(=髷)にて眉を剃らざるなり。……江戸は吉原の遊女のみ歯を染むるを良とす。……吉原も芸者は年長じたりといへども歯を染めず。この行京坂に反せり。非官許の遊女・芸者ともに歯を染めず云々」とあります。
 ※3……お歯黒と眉剃りが外国人の目に奇異にうつったのが原因の一つといわれています。明治三年の太政官布告で禁止になり、更に昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が率先してやめたのに従い、行われなくなりました。
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