FC2ブログ

花のこと① 桜

 少しずつ陽気も春めいてまいりました。もうすぐ春だなあと感じることもしばしばです。
 春といえば、進級・入学や入社・転勤転属など、さまざまなイベントがあり、期待と不安に心揺れ動く時期でもあります。
 そんな時期に花を咲かせ、そして忙しなく散ってしまうからか、ことさら日本人が愛してきたのが桜の花。
 今回はそんな桜の花について載せています。



 桜の木の下には死体が埋まっている――。
 これは梶井基次郎『桜の樹の下に』に見られる一節です。
 桜という花は、日本人が昔から愛してきた花です。平和な江戸時代には桜の品種改良も行われ、現在桜を代表する品種「ソメイヨシノ」が生まれたのもこの頃。花見の習慣も、この時代に広まりました(隅田堤への桜の植樹や品川御殿山への吉野の桜植樹は、八代将軍吉宗の政策でした)。
 とはいえ、現存する日本最古の和歌集である『万葉集』には、桜よりも梅の花を詠じた歌が多いです。これは大陸――中国――文化の影響であるといいます。桜が「花」の代表となり、日本人の心を反映するものとされるのは、それよりも時代が下ってからのことです。
 『万葉集』同様、上代文学に分類される『古事記』『日本書紀』には、桜の神格化・木花佐久夜姫(コノハナノサクヤビメ)が登場します。この女神は、天孫――皇室の祖先神・アマテラスの孫――と結婚し、子供をもうけます。この女神のもう一つの名は「神阿多都姫」(カムアタツヒメ。紀には「神吾田鹿葦津姫」などとあります)で、この神名は地名に因んだという説と、田の女神であることを意味しているとの説があります。コノハナノサクヤビメという名がよく知られますが、記には「大山津見神之女名神阿多都比賣亦名謂木花佐久夜毘賣」とあるので、カムアタツヒメが本来の名称であったのかも知れません。美しい女性を桜の花に喩えたその神名がそのままこの女神の名称になってしまったとも、桜の花が人に愛されているので、天孫の妃として相応しくこの女神にその名がつけられたともいわれます。
 桜の女神コノハナノサクヤビメを娶り、石の女神イワナガヒメを娶らなかった天孫・ホノニニギの子孫の寿命は、木花――桜の如く儚くなってしまったといいます。
 コノハナノサクヤビメに代表されるように、桜は主に「若く美しい女性」と「儚さ」の象徴でした。
 『古今和歌集』以降も、桜を詠じた和歌には「散るのを惜しむ歌」が多いです。「散るは桜、匂うは梅」などという諺があるのも頷けます。
 在原業平とされる『伊勢物語』の主人公・「昔男」が詠じた歌として有名な、「世の中にたえて桜のなかりせば……」は、桜の花が散るのを惜しむ心情を表した歌です。桜は散る花であり、それは後に儚い命の象徴とも考えられるようになりました。余談ですが、桜を散らすのは「風」であり、風に「桜の花を散らすな」と呼びかける歌も存在しています。
 有名な『源氏物語』では、桜に喩えられているのは、女主人公である紫の上です。紫の上は作中最も理想的な女性として描かれており、それゆえ花の中で最高とされる「桜」に喩えられているのです。ちなみに、桜は女性だけでなく、若い男性に喩えられることもありました。
 また、桜は霊的な花でもありました。かつては戦さの跡地などに桜が植えられたようで、これは死者の怨念を桜が糧として成長し、その怨念を「花」として散らす――つまりは浄化する――と認識されていたからではないか、と考えられています。それが後の梶井基次郎『桜の樹の下に』や、坂口安吾『桜の森の満開の下』に見られるような、桜の美しさゆえの恐ろしさ、凄艶、神秘性――へと繋がっていったものと解することもできるでしょう。
 江戸時代には、「花は桜木、人は武士」という諺が出来ました。かたや花のうちで最高のものを、かたや身分で最高のものをいった諺ですが、ともに散り際の見事さをいった諺と解釈することもできます。散り際の美しさ、ということは、逆に言えばコノハナノサクヤビメの例のように、儚いものを象徴しているので、意匠としては多くても、実際に家紋――家の紋章であり、本来であれば家が栄える願いのこもった意匠を凝らすべきものである――として使われることは少なかったそうです。
 ちなみに、『伊勢物語』で昔男が詠じた、桜が散るのを惜しむ歌に対する反論として詠まれた歌は、「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世に何か久しかるべき」でした。
スポンサーサイト



コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

Copyright © コトノハナ。@備忘録 All Rights Reserved.