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花街あれこれ⑤(花代のこと)

 現在も、舞妓さんや芸妓(芸子)さんをお座敷に招くときの料金を「花代」などと呼びます。
 遊里ではかつて線香を焚いて時間を計ったそうですが、そのとき線香を「花」と称していたことに因みます(線香が燃え尽きるまでの時間分、舞妓さんや芸妓さんを招いていられた)。
 島原の太夫と遊ぶには一日夜銀72匁(金1両が銀50~60匁)かかったといいます。『守貞謾稿』に

 「また太夫は一日夜七十二匁、たとひ一時半日といへども減銀せず。……天神以下の遊女および芸子は一日一夜の定制差あり。……」

 とあります。遊女や芸妓と遊興するには、時間によって遊興費が変動することがあっても(天神は銀25~28匁、囲いは銀14~16匁と、基本的には額が定まっていたようですが)、太夫と遊ぶには、時間による減額などはなかったということでしょう。ちなみに、島原以外の遊里(非官許)では線香で時を計り、時間に応じて支払う金額が決まる制度がもっぱらであったらしく、花(線香)一本が銀2匁3分であったといいます。『守貞謾稿』に「一時に五本焚く。一日に三十本、花代銀六十九匁……」とあったので、線香一本が燃え尽きるのは大体25分くらいということになるのでしょうか(一時は現在の約2時間で、季節によって変動)。とはいえ、あくまでもこれは目安であって、増減することもあったようです。
 ちなみに、島原の太夫は銀72匁とあったが実際は銀57匁6分、大坂新町の太夫は銀69匁とあったが実際は銀61匁1分だったそうです。これもあくまで「目安」とありますが……。
 太夫に次ぐ位である天神は、その名称が、揚代が銀25匁で北野天神の縁日(25日)とかけたためといわれていますが、後に素晴らしい天神が現れたので、揚代が銀28匁になったという記述もあります。また、かつては大天神と小天神とがあり、大天神が銀43匁、小天神が銀25匁であったともいいます。ちなみに大坂新町の天神の揚代は、銀33匁であったそうです。

 余談ですが、金は主に江戸で、銀は京坂で用いられた貨幣といいます。また、身分によってお給料も金本位と銀本位とに分かれていました(武士では、大名やお目見えは金、それより下は銀。町人や百姓は銭)。
 京都嶋原では、天神の名前の由来が揚代25匁で天神様の縁日に因むということからも分かるように、銀が用いられていたようです。しかし太夫の揚代は「1両2朱」と記述されている場合もあり、こちらは金による計算です。客層の違いということと関連があるのでしょうか。
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