FC2ブログ

中山道

 本日の信濃毎日新聞に、木曽郡上松町内でこれまで不明だった旧中山道のルートが特定されたという記事が掲載されていました。→こちら
 バイパス等の道路を整備していった結果、旧中山道が削られてしまったとのことですが……今回見つかったルートは、伊能忠敬の地図ともほぼ合致したとのことです。
 私も中山道近くに住んでいるので、近年、中山道や東海道などを見直す動きがあって嬉しいです。中山道は東海道と違い、七里の渡しや大井川のような難所が少なかったため、東海道より時間はかかりますが、日程に遅れが出にくかったといいます。そのため、幕末、皇女和宮が江戸へ向かうさいには、中山道が用いられました(また、中山道が用いられたのは、日程遅延のほか、過激派による妨害の危険性が少なかったためとされます)。余談ですが、このとき軽井沢にある「追分宿」が、慶事である結婚にあたり相応しくない(追分=分かれる・別れる、から)と、「相生宿」と記されている記録があります。
 中山道は東海道より日程に遅延が出ないとはいえ、東海道よりも距離が長く、全長は約135里(=約540km)で五街道中最長でした。また、東海道五十三次(五十三次とは、宿場が五十三あったという意味)に対し、中山道は六十九次。単純な距離の長さだけでなく、中山道には碓氷(長野県)などの難関、険しい道のりもあり、参勤交代に用いられたのはほとんどが東海道だったようです。
 今回旧中山道のルートが特定されたという上松町は、有名な木曽路十一宿場のひとつ。長野県県歌に歌われる国の名勝・寝覚の床がある町です。
 木曽路といえば、すべて山の中にある……という文句が有名ですが、島崎藤村の出身地として知られる馬籠宿もこの木曽路十一宿場のひとつです。かつては長野県木曽郡山口村に属していましたが、2005年(平成17年)の合併により現在は岐阜県中津川市に属しています。
スポンサーサイト



コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog

Copyright © コトノハナ。@備忘録 All Rights Reserved.