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オオカミについて③

 オオカミについて調べていたところ、「長野県上伊那地方では、生まれたオオカミの仔を“灰坊(へいぼう)”と呼んでいた。これは主にこの地方に伝わる“早太郎(ヘエボウタロウ)”という霊犬の伝説と結びついているといわれている」という記述を見つけました。
 長野県駒ケ根市の光前寺に伝わる霊犬早太郎伝説は、県内の民話として知られています(私のように興味のある人間や、上伊那地方にお住まいの方にはよく知られていると思います……)。せっかくなので、下に載せました。
 ちなみに早太郎は「山犬」とされていますが、「山犬」とは、「オオカミ(民俗神話)」の項でも述べているように、オオカミのことを指しています。

 「オオカミについて」を書くにあたり参考にした資料:
【辞書類】
川口謙二『日本の神様読み解き事典』(柏書房、1999年)
新村出『広辞苑 第五版』(岩波書店、1998年)
山口佳紀『暮らしのことば 語源辞典』(講談社、1998年)
吉田金彦『語源辞典 動物編』(東京堂出版、2001年)
【テキスト】
植垣節也『新編日本古典文学全集5 風土記』(小学館、1997年)
小島憲之・木下正俊『新編古典文学全集6 萬葉集①』(小学館、1994年)
財団法人神道大系編纂会『神道大系古典註釈編五 釈日本紀』(神道大系編纂会、1976年)
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波書店、1994年)
西宮一民『古事記』(おうふう、1973年)
【参考資料】
(記・紀神話)
井上辰雄『古事記のことば この国を知る134の神語り』(遊子館、2007年)
角林文雄『アマテラスの原風景 原始日本の呪術と信仰』(塙書房、2003年)
溝口睦子『王権神話の二元構造―タカミムスヒとアマテラス―』(吉川弘文館、2000年)
(民俗学)
浅川欽一・大川悦生『日本の伝説 3 信州の伝説』(角川書店、1976年)
楳垣 実『日本の忌みことば』(岩崎美術社、1973年)
栗栖 健『日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史』(雄山閣、2004年)
谷川健一『谷川健一著作集 第九巻』(三一書房、1988年)
谷川健一『日本の神々』(岩波書店、1999年)
菱川昌子『狼の民俗学 人獣交渉史の研究』(東京大学出版会、2009年)
日本民話の会『ガイドブック日本の民話』(講談社、1981年)
(言語)
中西進『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』(小学館、2003年)

 正和(1312~1317)の頃のこと。
 駒ヶ岳の山犬が、光前寺の縁の下で五匹の子どもを生みました。
 光前寺の住職は、山犬も狼も同じことで、狼といえば「大神」という字もあてて書き、古来神聖視されてきた生きものであるからと、子が乳離れするまで面倒をみてやりました。
 やがて山犬たちは山へ帰っていきましたが、住職へのお礼のつもりか、一匹だけ山犬の親は子どもを残していきました。
 その山犬は成長するにつれ、体つきもたくましく、疾風のようにすばやいので、「早太郎」と名づけられました。

 そのころ、天竜川のずっと下のほう、遠江の国府中に天満天神社という社がありました。いつの頃からか、この社には得体の知れない怪物が住み着いて、夜な夜な辺りの村々の作物を食い荒らしたので、農民はいつも飢えに苦しめられていました。そこで、毎年秋祭りの晩、おみくじで当たった(※娘の家に白羽の矢が立ったという言い伝えもあります)犠牲の童女を人身御供として怪物に捧げていたのでした。
 ある年、旧暦八月十日の祭りの宵のこと。
 回国の途中で国府中を通りかかったお坊さんが、人身御供にされた娘を見すごすこともできず、こっそりと木の上にのぼり、ひそかに見守っていました。
 やがて真夜中になると、三匹の化け物が現われ、娘が入った唐櫃の周りをぐるぐると踊り始めました。
 すると三匹のうちの一匹が、
「今宵今晩、信濃の国の早太郎めは来るまいな」
 と言いました。
 他の二匹が、
「なに、大丈夫」
 と答えました。
 再び一匹が、
「今宵今晩、このことばかりは早太郎めに知らせるな」
 と言うと、他の二匹が
「なに、大丈夫」
 と答えました。
 途端に怪物は唐櫃をぶち恐し、娘をわしづかみにするなり社の廟の奥へ消えていきました。

 お坊さんは、早太郎という者に、ぜひ里人の難儀を救ってもらおうと、信濃へと向かいました。
 お坊さんは村から村へと訪ね歩き、十月経った頃、その山犬の名前を聞いて、光前寺へと訪ねて来ました。
 早太郎はその話を聞き、後脚で立つと、承知したとばかりに天へ向かって大きく一声ほえました。

 いよいよお祭りの宵になり、娘の身代わりに早太郎が潜む唐櫃が、社に運ばれました。
 丑三つ時になり、再び唐櫃の周りを怪物が踊り始めました。
「今宵今晩、このことばかりは信濃の国の早太郎には知らせるな」
 怪物が言いました。
「なに、大丈夫」
 他の二匹が答え、唐櫃を壊した瞬間、早太郎の唸り声が響き渡りました。
 早太郎の唸り声と怪物の叫びが交叉し、どどうと巨体が倒れ落ちる音がしました。
 隠れていたお坊さんと里人たちが恐る恐る近づくと、何百年を経たとも知れない大狒々がのど笛をかみ切られ、血の海の中で死んでいました。その背中には苔が生え、熊笹さえ茂っていたといいます。
 早太郎も無事ではなく、大狒々の爪にかかり、白い毛並みを赤く染めて息も苦しげに倒れていました。
 お坊さんは手当てをし、光前寺へ運ぼうとしましたが、駒ヶ岳のふもとの寺まで着くか着かないかのうちに、早太郎は力尽きて息絶えてしまいました。住職はじめ寺の人々が、早太郎の死を悼み、お墓をたてて手厚く葬りました。
 このときの旅のお坊さんは名を一実坊弁存といいました。この人は早太郎の魂に報いるため、六年の歳月を費やして大般若経六百巻を筆写しました。この大般若経は光前寺に奉納され、いまも光前寺の本堂に納められているということです。
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