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印刷博物館に行きました・2

 西洋ではグーテンベルクの技術によって金属活字が広まりましたが、いっぽう、日本ではどうだったのでしょうか?

 木版印刷が日本に入ったのは奈良時代ころといわれ、江戸時代の出版文化隆盛もこの木版印刷に支えられていました。
 いっぽう、西洋で普及していた金属活字の技術も、布教のため日本を訪れたイエズス会教師たちによってもたらされたといいます。ただしこちらは徳川幕府の禁教によって失われてしまったようです。
 西洋式の金属活字技術は廃れましたが、徳川家康が豊臣秀吉の朝鮮出兵のさいにもたらされた朝鮮式の活字(銅活字)の技術に着目し、この銅活字技術を用いて『大蔵一覧集』『群書治要』などを印刷しました。家康が用いた銅活字は駿河版銅活字といい、これを用いて印刷された書物は駿河版とよばれています。
 日本の文字はアルファベットに比べて文字数がひじょうに多いためか、金属活字の技術があまり発達しませんでしたが、近代になり本木昌造(1824-1875)というオランダ語通詞の家柄に生まれた人が、日本における金属活字印刷技術を確立したとされます。
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