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人名の奥深さ

 私は故・谷川健一氏の著書にあった「地名は、人の心の指標である」という言葉にひじょうに感銘を受け、地名に興味をもったのですが、民俗学の分野では、地名、そして人名は、現在もなお信仰の世界(言霊信仰)に影響を受けていると見なされているようです。
 考えてみれば、人の住む集落の縁起は、たいていは始祖神にまつわる何らかの起源をもつものですから、始祖神が住むと定めた地にはそれ相応の理由があり、それにふさわしい名が冠せられているはずです。さらに日本人の姓は、地名に基づいたものがひじょうに多いといわれています。それは日本人が、自分を形成する重要な要素に、自分の生まれた土地を強く意識しているから、と考えられるでしょう。
 姓でなく、名については、Webサイトでも少し書いていますが、古くあった動物名(有名なものは蘇我入鹿でしょうか)などは、動物の中に認められる神性を、名づけによって、名付けられた人間が獲得することを期待してのもの、と考えられます。さらに、先祖代々伝わっている名などがありますが(沖縄では、長男は父方の祖父、次男は母方の祖父、長女は父方の祖母、次女は母方の祖母から名前をつけていたそうです。また、少し異なりますが、戦国大名が多く用いていた「通字」があります)、これももともとは、孫はその祖父もしくは祖母の生まれ変わりと見なされていたためと考えられます。つまり、新生児が、その祖父母の呪力によって生命を保証されるとともに、名前に宿る生命が、脈々と継承されていた、ということなのです。
 現在は高等宗教が発達して、死後の世界は天国と地獄、極楽と地獄に二極分化されていますが、古くはそういった概念はなかったともいわれています。たとえば、亡くなった人の着物は「左前」に着せますが、これは死者が生者の世界とそっくりの、昼や夜などが逆さま(あべこべ)の世界に行くと考えられていたため、という考えがあるようです。亡くなるというのは、生前の罪を裁かれる世界に行くということではなく、再びこの世に生まれ変わるための、いわば休息期間と考えられていたのです。
 太陽が沈んでまた昇るのが1日であるように、四季がめぐってまた春となるのが1年であるように、亡くなった魂は名前とともに、その孫や子孫となって脈々と受け継がれ、生まれ変わる。かつての世界観はそのように、円環するものだったといわれています。
 自分が祖母の生まれ変わりであるならば、自分の子どもは自分や、その伴侶の父親や母親の生まれ変わりである。自分の孫は自分の生まれ変わりである。
 そうやって、自分に付けられた名前とともに、自分が長い長い連環のひとつであると意識する。ともすれば即物的・刹那的なことにばかり意識が向いてしまいそうな中で、人名について考え、古代の人びとの世界観に思いを寄せて、もっと自分のルーツについて思いを馳せる時間を持ってもよいのかな、と思いました。

 参考:
 赤田光男ほか共著『日本民俗学【弘文堂入門双書】』(弘文堂、1984年)
 谷川健一『民俗学の愉楽』(現代書館、2008年)
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